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心残りとなった [日常]

先日、お盆の最中に、宗教の集まりでおせわになっていたH先生が急逝された。3週間ほど前に入院されたと聞き、見舞いに伺ったばかりで急な知らせだった。

先生は科学者としての立場から、生死の問題を追及されてきた方であった。坐禅の修行なども若い頃からされていたようだが、基本的に宗教に対しては批判的な見解にたつ。その点で自分は立場がことなっていた。したがって、宗教に関しては先生の考えの賛同者とはいえなかった。

とくに死後の世界の有無に関しては、意見が異なり、いくどか議論めいたことをしたことがあったが、深く議論する機会を得ないまま、先生は逝かれてしまった。

先生の知己をえたのは昨年の夏で、本当に短い間であったが、深いお話をする点では、遠慮なく核心についてお話できる間柄で大切な方を失ってしまった。その喪失感は大きい。

それとは別に、先生から宿題を頂いていたが、そのお答えもしないままとなってしまった。そんなことがらが、重なって心残りの気持ちが膨れ上がってくるのを感じざるを得ない。

先生からいただいた課題とはこうである。
量子力学では意識の問題が議論されるらしいので、その辺の解説を聞きたいと希望された。科学と意識の接点というものが議論されるらしいが、それはどのようなことか。

じつは一ヶ月ほど前から、若い頃の専門だった量子力学の基礎部分の書籍を引っ張り出して、問題の要点を自分の中で整理して、要約のドキュメントをまとめる段階に来ていた。しかしその作業も、報告する相手がいないので、空を切るようなむなしい感がある。

その問題は観測問題として知られていて、いまだ明快な解決に至っていないことも知った(30年を経過してもなお)。それは先生の与えてくださった機会だったのかもしれないと思う。資料をまとめる意思を固めたいと思う。

2016年08月17日(水)SNS日記より
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