SSブログ

グラシアンの本を、ふたたび眺める [学ぶ]

スペインの哲学者、バルタザール・グラシアンの箴言集は愛読書のひとつだ。
オルテガ・イ・ガセットなど、スペインには著名な哲学者が多い。
そして、どこか肌合いが合う気がしている。

書棚にはグラシアンの訳本が全部で3種あるけれど、
野田恭子さんの訳本が穏やかで素直な感じで、しかも強い文章であり、好きだ。

グラシアンはイエズス会の修道士でもあったが、修道院内に敵がいたらしくて、
ずいぶんとその嫌がらせに苦労したらしい。なので、箴言の中には、
降りかかる火の粉をいかにかわすかという実用的な(?)言葉も多い。

『穏やかに長生きする』という章がある。
「長生きをするためには穏やかに生きることだ。
穏やかに生きていくためには、人の人生に
干渉しないようにすればいい。
穏やかな人は、ただ生きるだけでなく、
人生を自分のものにする。
・・・
そういう人は満ち足りているので、
自分に関係ないことはまったく関知しない。
何でもやたらと気にすることほど、
ばかばかしいことはない。
自分に関係のないことで心を悩ませるのは、
自分に関係あるだいじなことに無関心なのと
同じくらい愚かなことなのである。」

B・グラシアン『賢く生きる知恵』
野田恭子訳 P.253

この言葉を読んで、ふと感じるのは、
人生の残り時間のことだ。
まだまだ人生があると思っていても、
あっという間に終わりはやってくるだろうと思う。
長くてもあと20年という時間しか与えられていない。
だから無駄なことには関わりたくないという気持ちが
次第に強固になった。

自分がこれから成し遂げたいことは何か、
そのための準備は何か、
今眼の前にぶら下がっている事柄は、
ほんとうに自分にとって有意義なことなのか、
あるいは放っておくべきことなのか、
そんな静かな省みる時間を与えてくれるのが、
グラシアンさんなのだ。

(2013-11-29 SNS日記より)

『努力は、人を裏切らない』 [学ぶ]

表題の言葉が好きだ。
誰の言葉か分からないが、年を重ねるほどに、
その重要性を感じる。
若い頃は、ずいぶんと才能を気にしたように思う。
でも結局のところ、努力とその継続がものごとの成功を
決めているように思う。

ある本に出ていた例だが、こんな調査結果がある。
認知科学者のエリクソン博士は、ウェスト・ベルリン音楽アカデミーの
先生に依頼して、将来有望と思われるバイオリニストの
名前を挙げてもらい、彼ら学生の何が有望たらしめているのかを調査した。

そうしたら才能ではなくて、自分ひとりで行っている練習量であることが
分かったという。普通の学生は、一日平均で1.3時間。
有望な学生は平均で3.5時間だったそうだ。3倍近い開きがあるのだ。

イチローは華々しい話題に囲まれているが、その練習量たるや半端じゃない。
生活の全てを律して野球にささげている姿が浮かんでくる。

天才と呼ばれる人は、さも才能でヒョイヒョイと業績をあげたように
思われている。しかし努力家でなかった天才はいないと思われる。

それに天才たちは、自分がこれほど練習しているということを言いたがらない。
その理由は、言うべきじゃないと感じているというより、
そんな努力は当たり前でしょ・・・と思っている様子なのだ。

自分はこれほどやっていると口にする人がたまにいるけれど、
その努力とやらを訊いてみると、唖然とするくらい貧しい練習だったりする。
それじゃあ、目が出ないのも当たり前だなと、失礼ながら感じてしまう。

努力というからには、人が聞いてあきれ、驚き、度肝を抜かれる
レベルじゃなければ、あまり人に言うべきじゃない。
寝る間を惜しんで努力するというけれど、
すごい人は一日3時間睡眠だったりする。
(中村メイコさんはこのくらいの睡眠時間だそうだ。自分はせいぜい5時間。)

努力して積み上げたものは、なくならない。
それを信じきっているのが天才たちだろうと思う。
少なくともあるのかないのか分からない「才能」とやらを当てにするよりは、
はるかに確実な道だ。

あのとき努力を続けていてよかった、
それが今生きていると感じる瞬間がかならず訪れる。
人生でいちばん豊かな気持ちになれるのは、これまでやってきたことが
間違いじゃなかった、つらかったけれどやめなくてよかったと振り返る瞬間だ。

(2013-09-05 SNS日記より)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。