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ほぼ禅問答になる [禅]

先日の宗教に関する読書会で、すこし議論のあった話題です。
ある方の述壊から始まりました。

「自分は若いころから禅に興味があって、
その悟りの境地というものを知りたくて、
これまでお寺で座禅を組んだりしてきた。
悟りを得ているとされる有名な住職さんを見つけては、
その悟りの境地を教えてほしいと願った。
しかし、だれひとりそれを教えてくれる人はいなかった。
ただ冷暖自知(自ら冷たい暖かいを体験)しなければならないとか、
不立文字とかいう言葉をいわれるばかりだった。
振り返ると禅のお坊さんというものは、不誠実で不親切だと思う。
民衆を救おうという気持ちを持った人はいないのではないか。」

こんなお話でした。

そういう側面が、今の仏教界にあるのかもしれませんが、
としながらも、自分は、体験は言葉とは違うという
というコメントをしました。
話し出すと長くなると思い、それ以上話しませんでした。

しかし、ここには重要な内容があると思っています。
ひとつは、体験というものと言語とはかけ離れたものだということ。
それに、体験を正直に語ろうとしても、
それは言葉として理解不能になるだろうということです。

たとえば釈尊の悟った内容を、体験者として言葉にしたとします。
じっさい弟子たちが釈尊の語った内容を記録しておこう
という時代がありました。それらが経典として今に伝えられています。

しかしわれわれは、その言葉が理解できないのです。
それが現状です。
たとえば、縁起の法則。諸行無常の法則、などなど・・・
どこがありがたいのか・・・
真髄が語られていながら、なぜ理解できないのか、
そこに言語の限界という溝があると思うのです。

悟りの内容を教えてほしいといわれて、
その境地を正直に真剣に答えたとします。
たとえば、趙州禅師が僧に問われて、
達磨禅師がインドから中国にやってきて仏教を伝えたその心は何か、
というものです。つまり何を伝えたくてはるばるやってきたのか、
仏教の本質とはいったい何かという質問です。
そのとき趙州禅師は、庭に植えられている柏樹と答えました。
(前のコラムに書いた内容です)

そんなことで答えとしないでほしいと僧は言います。
趙州禅師は、はぐらかして答えたのではないと返答します。
自分は趙州禅師はふざけることなく真剣に、問いに答えたと思います。
仏教の教えの真髄は、日常の生活のあちこちに
明々白々として顕在していると見ます。

しかし人生の問いや仏教の核心を考えて悩むことを、
なにか特別な高尚な事柄をしているというのだという
蒙昧なところに埋没してしまっている頭には、この答えは響きません。
もっとすごい深遠な答えがあるのではないか、
高等な開示がなされるのではないか・・・

僧の受け取り方はせいぜい、そんなものですか?
と不服な顔をすることぐらい。

逆に、
ほんとうにその通りですね!
ああその意味が自分にはビンビン分かる!
やはりそうでしたか!
と受け取る僧は、悟りを体得しているのです。
したがって、そのそもそんな質問をするはずがないのです。

分かっている人は問わない。
分からない人が問う。
そして分からない人は、
やっぱり分からなんだということを知る、
というような構造です。

庭の柏樹だという答え。
冷暖自知すべしという答え。
そこにあるとても親切な答え。

(2016-06-30 SNS コラム記事より)

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ある集まり のあとで

宗教を学び、それに関連した話題を語りあう集まりに、
加わらせてもらっています。
月一のペースで開催されますが、昨日、6月の会合が開かれました。
この集まりで、紹介された話題と自分の考えをメモにしておきたいと思います。

新メンバーが加わったため、あらためて自己紹介が行われたのですが、
ある方の自己紹介の中でこんな話が紹介されました。

その方は、藤田みさおさんの論文を、一部を紹介されて話されました。
つまり『来世を信じることは、死の不安をやわらげるか』というテーマです。

藤田さんの論文の結論は、こんなふうでした。
「結論から言うと、来世を信じることは、人が抱く死の不安のある側面を
やわらげることができる。しかしそれで死の不安のすべてが
なくなるわけでは決してない」

藤田さんの研究成果を引用しつつ、この方はいつもの持論を
以下のように展開されていました。

来世があると考える方が、楽になるはずである。
来世があることを信じて疑わず、まったく死ぬことは
怖くないというチベットのある村の人々の話を聞いても、
来世はあるというように信じたい。
はっきりと証明できるわけではないけれども、臨死体験の
話を調べても、来世はあるというべきではないだろうか。

とくにその場で反論はしなかったものの、
自分はこの考え方には賛成できませんでした。
その際の思いを振り返ってみました。

来世があると仮定する方が楽になる、したがって来世はあると
信じようというふうに要約されますが、それはこの薬を飲むと、
苦痛が減る。したがってこの薬を飲もう、と言っているのとおなじです。

苦しみや不安を感じなくするようにする処方箋として
来世を利用するという構図になるかと思います。
けっして苦痛そのものが減ったりなくなったわけでありません。
したがって来世が必要になるときは「ある」ことになり、
不要ならば「ない」という、出たり入ったりの来世です。
ある意味で恐ろしく自己中心的な世界観ということだと思います。

自分の利益や都合のために、世界はこうあるべきだ、
そうに違いないといっているわけです。
すでに死後の世界を理解しよう、あるいはどう向かい合うべきか
という姿勢からは逸脱してしまっているといわざるを得ません。

人間は、生死の中に生まれ、生死の中で死ぬのではないかと思います。
つまり自分の都合云々ではなく、生死という厳然たる世界の中に
自分が放り込まれて生きているのです。

(2016-06-27 SNS コラム記事より)

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偽善と差別と怒り [宗教]

信仰を得ているとは、どのような状態のことを言うのだろうかと、
よく考える。ほんとうに宗教者といい得る人とは、
どのような考えをもつ人物なのだろうか、とも言いかえできる。
(このさい、宗教者という言葉の定義は触れない)。

おのれの中でぴったりすると思うのは、自分のなかに潜む
悪人の存在を自覚していて、しかしながら生きていくうえで、
それをどうにもできない、直せないおのれの無力さを、
痛感している人という感じがする。

じつは、自分のなかのイメージでは、それは親鸞さんに
限りなく近い。

海難事故にあって、海上に自分ともう一人の遭難者が
投げ出され溺れそうになっている。
そこへ浮き輪がひとつ漂流してきた。
相手を蹴落とし相手を沈めてしまっても、
自分がこの浮き輪を手に入れて生き延びたいし、
じっさいそう行動してしまう。
痛みと悲しみをもって、たぶん自分はそうするだろうと、
自覚している人間こそ、宗教的なひとと呼べるのではないか。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」
               『歎異抄 十三章』
縁が催せば、いかなることもしてしまうものだよと、
弟子の唯円に語った親鸞さんの言葉は、
その自覚の上に成り立っている。
どんな事柄でも、たとえ殺人でも縁さえあえばしてしまう、
そのような人間の実際の姿を知っていることだ。

別の言葉で言えば、おのれの有限さを知り尽くしている人、
どうしようもない悪い人間であることが分かっている人
ということになるだろう。
これこそ宗教の門に入っていく契機である。

したがっておのれが正しい、間違っていないと堂々と
主張できる人、自分は間違うことはないと言い切れる人は、
およそ宗教的とは言えない。
たとえ洗礼を受けて入信している、教会に通っている、
と言われても、その本質は宗教とは関係がない。
たんなる道徳、習慣、生活の飾りである。

ついでにその自分の信ずる正義を尺度にして、
ものさしに合わない人を裁いたり、非難したり、
罰したりする人は、およそ宗教的な人とは、
正反対なるものである。

このような人は偽善者で「いい人ごっこ」しているだけだ。
自分がどれだけ優れているのか、
自分がどれほどすごいことを成し遂げてきたのか、
自分がどれだけ賞賛に値する人間であるのかを、
それとなく言う人間は、およそ宗教とはかけ離れている。

そのような人の心にあるのは、他への差別心と、
自分の考えや信念に従わないことへの怒り、
そしてそれらの心の闇を隠しつつ(あるいは自覚することすらできず)、
いかに自分が広くて清い心を持っているのかをひけらかす偽善の数々である。

このような「信仰ふかい良い」人々を、イエスは激しく糾弾した。
その心の中の闇に気がつかずに、あまつさえ
他人を裁く「宗教に篤い者」を名乗る人々の存在が、
許し難かったのだろうと思われる。

自分に義があるとする者は、おのれを神格化するのに等しい。
頭が高いのである。
人間は、それほど威張れるような存在ではない。
機縁さえあれば、どんな悪いことでもしかねないものである。
そのことへの自覚や反省のない者は、
おのれを神に等しいものにしてしまっている。

したがって宗教の入口に立つことの本質は、
おのれの限界を知るところにある。
その先には、おのれを超越した敬虔な世界が広がっている。

なにも、インチキ臭いようなものを信じているとか、
常識外のものに頭を垂れることが、宗教の本質ではない。

自分の限界を知らない人や、気がつかない人は
なぜ信仰というものが生まれるのか理解できないだろう。
ここに述べた宗教の話は無縁であろう。
それはいっこうに構わない。
理解できず、無縁ならば、あえて何も言う必要はないのだ。

(2016-06-24 SNS コラム記事より)

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庭の柏樹 [禅]

中国唐代の禅僧に趙州禅師という方がいた。
趙州禅師は十八歳で悟りを得たのち、南泉禅師のもとで修行を重ね、
師匠が遷化したとき趙州は五十七歳。
三年の喪に服したのちに、六十歳から一介の禅僧として行脚の旅にでた。
二十年の更なる修行を各地で積み、八十歳になってようやく
観音寺というお寺の住職となった。四十年の弟子たちの教化に努め、
百二十歳で座ったまま遷化したといわれている。

ふつう禅の修業においては、弟子の教化に際に、
喝と叫んだり、棒でたたいたり、罵倒したりというやり方が、
とかく目立つのだが、趙州禅師はこういう激しいことは
いっさいしなかったらしい。
真をついた短い言葉の問答がほとんどで、
その唇に光を放つとさえ言われている。

これは有名な公案のはなし。
あるとき趙州禅師に、修行僧が問いかけた。
「禅の究極の目的、真髄はいかなるものですか」
趙州は短く、
「庭にある柏樹」
と答えた。
修行僧はその答えに納得がいかず、意外でもあったのだろう、
「そんな外界にある樹を持ってきて答えないでほしい」
と注文をつけた。つまり、いい加減なことを言わないでほしい、
こちらはまじめに禅の真髄のことを質問しているのだと。

すると趙州は、
「いやわしはまじめに答えている。
外界のもので答えたわけではないよ。」
そこで修行僧はもう一度、気を取り直して訊く。
「禅の究極の目的、真髄はいかなるものですか」
趙州は応じる。
「庭にある柏樹」

こういう問答があったことが『無門関』という禅書に
掲載されている。
まったくチンプンカンプンなことを禅問答というけれど、
まさしくその典型的な応答だ。

趙州はぞんざいに答えたのだろうか。
たまたま庭の柏樹のすがたが眼に入ったので、
それを答えたのだろうか。
いやいや、そうではない自分はマジメに答えているのだと
禅師自身が言っている。

禅の本質とは何かという、抽象的で高等な質問に対して、
具体的な庭にあるありふれたもので答えた。
禅の本質という高等な議題にたいして、
日常に接する樹木みたいなものは釣り合わない。
禅の議論のほうが、はるかに高級な話なのだと
修行僧は思っているにちがいない。

こういう思い込みはよくある。
人生への問いや、人生の意味を考えることは、
とても高級で知性の高い人間のみがなしうる質問であると。
若い頃はボク自身がそう思い込んでいた。
しかし、これは本当なのだろうか。

いまこんなふうにボクは感じている。
人生の意味などへの問いという、きわめて観念的な
疑問というものを抱いている脳髄は、何が支えているのだろう。
言うまでもなくこの肉体であり、その肉体を生かしめている
食べ物や、地球の環境であったり、
また生んでくれた父母、教育であったりする。

おかしな感覚ではあるのだが、
人生の意味や禅の本質を考えることよりも、はるかに広く、
はるかに多種多様なものごとが、その脳髄を支えている。
だとすれば脳髄の発する質問は、すごく小さい。
そして単一で単純だ。
ボクたちを生かしめているもろもろのことがらの方が、
はるかに広くて複雑で見通せない。

人生の意味や禅の本質を考えるというと、
普遍的で広大な範囲のことがらを
思考の対象としているかのように錯覚する。
すごいことを考えているのだと妄想する。

しかし、本当のところはちがうかもしれない。
言葉のもてあそびに陥っているのかもしれない。
現実世界は、その錯覚している脳髄をすっぽりと包み、
その肉体を生かしめている関係にある。
その錯覚を目覚めさせる一撃の答えが、
趙州禅師の庭の柏樹だったのかもしれないなと。

(2016-06-18 SNS コラム記事より)

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山上憶良の歌 [文学]

歌人の中では、万葉集に登場する山上憶良(やまのうえのおくら)が、
情感豊かで、親しみやすくて好きだ。

憶良の歌は、いわゆる相聞歌に属する歌が多い。
相聞歌というのは、人と人の心の通い合いを歌った一群の歌を
さしているが、のちに男女の恋愛の歌というとらえ方になっていった。
しかし、憶良の場合は、こどもや妻に対する情感を歌ったものが
ほとんどである。

子供の愛おしさをうたった下の歌はとくに有名だ。

○銀も金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

 <銀(しろがね)も金(こがね)も宝玉も、いったい何になろう
 これにまさる宝といえば、子以上の宝があろうか、
 ありはしない>

この歌は旋頭歌(せどうか)という長歌の後を受けてうたわれた反歌で、
長歌の要約文みたいなもの。
このもともとの長歌も、子供の影像を思い浮かべていて趣が深い。

○瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来たりしものぞ
まなかひに もとなかかりて 安寐し(やすいし)寝さぬ(なさぬ)

 <瓜を食べれば子のことが思われる 栗を食べればさらにいっそう思われる
 子どもはいったいどこから来たものか
 面影が目の前にむやみにちらついて 安眠もできない>

このとき憶良は単身赴任でもしていたのだろうか。
あるいは旅先の枕で、子供らを思い浮かべたのだろうか。

憶良は生涯で、妻も子も亡くすような辛い体験もしていて、
はたしてこの歌の詠まれた時期がどのシチュエーションに
あたるのかは不明だ。
しかしいずれにせよ、子どもや妻にたいする情愛がふかい、
心優しい人物であったのだろうと偲ばれる。

もっとも憶良らしい歌だなと感じるのは次の歌。
自分としてはけっこう好きな部類の歌だ。

○憶良らは 今は罷らむ(まからむ) 子泣くらむ
それその母も 我を待つらむぞ

 <わたくしめ、憶良はもう失礼いたしましょう。
 今ころは子供が泣いているでしょう。
 それ その母もわたしをまっているでしょうから。>

おそらく大伴旅人の家で酒席が開かれていて、
そろそろ自分は失礼して家に帰ります、という思いを
歌にしたものだ。

大伴旅人は、九州大宰府の長官として赴任してきたが、
やはり万葉集の代表的な歌人。この地で旅人を中心に
山上憶良などの文化人が集まり、
文学サロンが形成されていたようだ。
だから旅人と憶良は、歌のやり取りを頻繁にしている。

おそらく楽しい文学談義や、歌のやり取りをして
夜も更けたのだろう。そろそろ失礼しますというこの歌、
よく読むと微妙な言葉使いがされていて、奥ゆかしい。
憶良らの「ら」は、自分につける謙遜語であるが、
それ、その母も、といったのはじつは憶良の妻のことだ。

妻も私を待っていることでしょう、というと
なにか直接的な露わな感じがする。
子供をダシにしたわけではないけれど、ついでという感じで
子供の母も待っているでしょうから、と言葉を選んだ。
いや本当のところは、妻恋の気持ちの方が優ったのかもと
勝手な想像をしてみる。

(2016-06-15 SNS コラム記事より)

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枯木倚寒巌(こぼくかんがんによる) [禅]

冬の厳しい岩場に、枯れた木のように私は立っている、
という意味である。このあとに、三冬暖気無し、と続く。
だから、私のこころにはまるで暖かいものはないのだ、
というような意味である。

これはある修行僧が若い女に抱きつかれたときに発した言葉で、
禅の有名な公案のなかの物語だ。この公案は、なかでも透過するのが
むつかしいとされてきた。

このお話には前後があって、そもそも若い娘にそんな行動をとらせたのは、
お婆のさしがねだった。お婆は、まだ若き修行僧に見込みがあるとみて、
庵を建て、そこで何十年と修行をさせてきたのだ。
そして身のまわりの世話を若い娘にさせていたというわけなのである。

で、あるときお婆は、そろそろ修行の成果を試してみようと思った。
むすめに言い含めて、僧侶に抱きつくようにさせたというしだい。
そしてみごとに(?)修行僧の反応は、私は何の暖気も感じない、
修行してきて、自分はそういうものとは無縁の境地になったのだ
と言い放った。

その顛末を娘から聞いたお婆は、なんと、なまくら坊主め!と
激怒の末に修行僧を追い出し、庵まで焼き払ったという話である。
婆子焼庵という名前のついた公案で、さあお前だったらどうするかという
問いなのである。

若い頃からこの公案のことは知っていて、自分だったらどうするのだろうと、
答えの無いまま、何十年と宙ぶらりんな気分。
もし誘惑に負けて、若い娘を抱いてしまったら破戒僧となって、
庵から追い出されてしまう。
そんな誘惑には乗らないと突っぱねれば、これも庵から追い出される。
さあ、お婆のお眼鏡にかなう対応とは何なのだと、問いかけている。
しかしどちらにしても正解が無い。ホント困ってしまう。

道元禅師のもとで修行をしていた弟子が、この公案の解答として、
私だったら抱いてしまいます、と答えたらすぐ破門されたのは有名である。
潔癖な道元禅師は、その弟子が座っていた床まで剥ぎ取ってしまったという。

どっちに転んでも、いい答えが無いというのが公案たるゆえん。
似た話にこのようなものがある。
高い竿のうえで口だけで体を支えている男に、仏教の真髄を言え
というものもある。それを語れば男は落下してしまう。
しかし答えないわけにはいかない。
そういうジレンマに追い込んでおいて、それを突破させるというのが
公案禅である。

婆子焼庵の話の答えが得られないまま、いい歳になってしまったが、
なんとなく問題の所在、その論点が見えてきた気分にはなった。

この修行僧は、自分の保身とか、見栄とかしか頭になかった。
周りの人間を救っていこう、人の苦を和らげていこうという、
菩薩心ともいうべきものがまったく芽生えていなかった。
修行とはそもそも何であるのか、まったく思い至っていなかった。
お一人様の自慢傲慢坊主になっていた。
それが、何十年と世話をしてきたお婆をひどく失望させ、怒りを買った。

(2016-0611 SNS コラム記事より)

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久しぶりに触れたヘッセの言葉は心にしみた [文学]

先日、書店で『超訳 ヘッセの言葉』という本に出会い、
パラパラめくる内に、詩心にあふれた言葉の数々に魅了されてしまった。

むかし、『車輪の下』、『デミアン』を読んだはずだったが、
おぼろげな記憶しかない。それに『デミアン』に述べられた思想は、
当時の自分には、むつかしい事柄が述べられていると、
受け取ったような気がする。

断片的ではあるけれど、いまそれらの小説の言葉を読むと、
これほど深く、輝く言葉が迸っていたのかと思う。
愚鈍な自分は、ヘッセを受け取れるようになるまで、
何十年もかかったということだ。

ひときわ惹きつけられた言葉を引用したい。
表題は「一人の人間の中には全人類の魂がある」という
やや大きな題がついている。

「他のみんなと明らかにちがう点に、わたしたちは自分の個性や
人格の特徴があると思いがちだ。そういう思いがあると、
みんなとは異なった点のみが自分だと狭く制限してしまいやすい。
しかし、どうだろう。人というのは、これまで全世界の
構成要素から成立しているのではないだろうか。
自分の魂に、これまでの全人類の魂が含まれているのではないだろうか。
そういうふうに考えれば、わたしたちはあらゆる可能性を
手にしていると思えてくるのではないだろうか。」
   ヘルマン・ヘッセ、白取春彦訳『超訳 ヘッセの言葉』 p.118

ここに述べられた考え方は、西欧流の個人主義の思想とは異なる、
東洋的な味わいを感じさせる。どこか仏教の教えすら思い起こす。

自分自身、若いころに感じていた世界観は、個人は一人で生まれ、
自分を主張し、人とは異なる個性を発揮して、おのれの夢を
実現していくものであるという捉え方だったように思う。

したがって個人の成功への努力が礼賛され、それが断たれたり、
夢が破れたときは絶望しかないという方向へ行くしかなかった。
成功者は一握りでしかない、おのずと多数の失敗者や破綻者が
うまれてしまう仕組みを信じた。多くの諦めと疲弊が生まれるような
社会を形成してきた。
それは本当に正しいのだろうか?

東洋的な思想、とくに仏教では、個人という存在に重点を置かない。
あらゆる存在は、周りとの関連の中で生まれ消滅するあり方を
繰り返していると観る。人間もその例外ではない。

あらゆるつながりから自分たちは影響を受け、考え方や生き方を
形成してきている。「自分独自の」とか「自分だけのもの」というものは
もともと虚妄なんだと教える。もっと大きな存在のなかで生かされ、
さまざまな縁のもとで変転してきたと観る。

一枚の紙の中に雲を見る、おのれの中に敵と同じ心を見る、
あるいは敵に中に自分がいることを見る。
宇宙の中で、宇宙ともに存在している自分の姿を見る。

もうひとつ引用。
たまたま隣のページに掲載された言葉にこんなものがある。

『差別や争いはすべて人間の心から出てきた』

「世界を満たしているはなはだしい差別、ヘイト、排斥、
価値の上下の決めつけ、中毒、放蕩、困窮、傲慢、
ひとたびも鎮められない苦悩、絶えざる諍い、
血みどろの戦争、あらゆる恐怖・・・
これらのものはどれもこれもみな、われわれ人間の心から
出てきたものなのだ。」
   ヘルマン・ヘッセ、白取春彦訳『超訳 ヘッセの言葉』 p.119


(2016-06-09 SNS コラム記事より)

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ニヒリズムについて書いてみる [宗教]

ニヒリズムの核心は、こんなことではないだろうか。
しょせん人間は死ぬものだし、そうなれば築き上げた価値とかが
無意味になってしまう、けっきょく人生とは虚しいものだ、
そんな諦念に満ちた人生観をいうのだろうと思う。
つまりは人間のおかれた受動的な状況を述べたものだ。

日本語としては虚無主義という翻訳がなされる。
しかし、この世の「虚無」性を、「主義」として積極的に
主張するものなのか、この点は疑わしい。

花は美しい。けれども永続しない。
やがて枯れて散ってしまう。
これと同様、みな人生があるけれども
いずれ死んでしまう。

宗教で説かれる価値観、あるいは神や仏という存在によって、
この人生の虚無性を乗り越えるのが普通の道筋であろうと思う。

しかし理系人間だった自分は、そんな超越的な価値を、
無批判には受け入れられず、若い頃からけっこう苦しんだ。
しまいには何をしても空しい、どんなことがらも
意味が無い、そんな感情の中で日々を送っていた。

もし子供時代から洗礼でも受けていて神への信仰を、
自然に持っていたならば、さほど疑問に苛まれることは
なかったろう。そんな思いがあってか、キリスト教の勉強は
しっかりした覚えがあるし、仏教や禅書もかなり読んだ。
でもなかなかニヒリズムの克服のような事態にはならなかった。

何十年と経ってから(50代の頃だが)、
ある言葉が、ストンと腹の中に落ちた。
それは三帰依文のなかの短い言葉である。
「人身受けがたし、すでに受く」
前半に出てくる文章だ。

言葉の中身を体験したということなのだが、
その内容を言葉として、うまく表現するのはむつかしい。
しかしこの体験は、いろいろな宗教の教祖の発した言葉や
教えの核心というものとよく符合している、
あるいはまったく同じなんだ!
と理解できた。

人身受けがたし、の前半部分は、
この世に人間として生まれることは大変むつかしい
ということを述べている。
深か読みするならば、人間として生まれても
容易にいのちは崩壊してしまう、簡単に死んでしまう、
というふうにも感じられる。

それに対して、「すでに受く」というところの
目覚めが空しさの意味をひっくり返す。
たしかにいのちは短く頼りないものであるが、
それをいま自分は持っている、あるいは
生かされているではないかという自覚である。

別の表現をすれば、
「いのちを生きているが、やがて死んでしまう」
といっているのと、
「死ぬべき存在ではあるが、いまは生きている」
のちがいと言ったらいいだろうか。

花はすぐ枯れてしまう、散ってしまうけれど、
それを惜しいと思っているのは、いま眼の前の花が
とても美しいことの裏返しだ。
なぜその美しさに眼を留めないのだろう。

イエスの言葉を聖書から引用したい。
自分はクリスチャンではないが、同じことを
述べているのだなと理解している。

『命のため何を食べ、何を飲もうか、
また体のために何を着ようかと思い煩ってはならない。
命は食べ物に勝り、体は着るものに勝っているではないか。
空の鳥を見なさい。種蒔きも、刈り入れもせずせず、
また倉に納めることもしない。
それなのに、あなた方の天の父はこれを養ってくださる。
あなた方は鳥よりも遥かに優れているではないか。
あなた方の誰かが思い煩ったからといって、
一刻でも寿命を延ばすことができるだろうか。
・・・
今日は生えていて、明日には炉に投げ入れられる
野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。』

(マタイによる福音書 第6章より)


(2016-06-05 SNS コラム記事より)

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