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自分という存在への断章 [いのち]

お気に入りさんの日記コメントのやり取りで、
ズバリ自己の存在とは何かと問われてしまいました。
なかなか難しい質問ですが、そのとき関連した2つのことを
思い浮かべました。
直接の答えにはなりません(自分にもはっきり分かっていないためでもあります)。
しかし答えを想像していただけたらと思います。

その1:人間は死んだら消えてしまうのか?

これは純粋に科学的な見地から考えて見ます。
この宇宙を構成しているあらゆる物質は、人間の存在を含めて、
消滅することができません。死ねば、やがて腐敗して虫に喰われてしまうか、
焼かれれば二酸化炭素や酸化りんや、ガスとなって煙突からたなびきます。

いずれにしても、体を構成していた元素は、酸化したりして別の物質に変化します。
消えることはありません。消えることが出来ないのですね。
逆にいうと、自分を構成している物質は、
他の生命体や植物が変化したり消化したりして取り込んだものです。
空気や二酸化炭素も同様です。

物質は常に循環していて、もろもろのものが絡み合い自分になったり分解したりします。
その複雑さは、とうてい想像の域を超えています。
いま呼吸した空気は、牛のゲップかもしれないし、海底から湧き出たガスかも知れない。
食べた豚肉も、ブタが食べたえさの変化したもので、
アメリカの草原に生えていた草かもしれません。
生き物は、植物や動物を食べなければ体を維持できません。
そう考えると物質の連鎖はどれだけの広がりを持つのだろうと気が遠くなります。
こんな物質の循環を、地球は何億年もやってきています。
自分の体は、いまは自分に預けられているけれど、
本当の姿は、たがいに受け渡しながら変化しながら、
ぐるぐると回ってきているし、これからもそうなのです。
おそらくお釈迦様の見たものはその全体像に違いないと思います。

その2:自分の先祖は何人いる?

真宗のお坊さんの書かれた本に出ていた話です。
あるときある集まりに出かけたら、別のお坊さんに
問われたそうです。あなたはお寺の何代目の住職さんなんですか、と。
十八代目だったそうで、そう答えると、
先代になる親は何人いると思うか、と突っ込まれたのだそうです。
その住職は、その場で答えることが出来なかったそうです。
答えは、131,072人です。一世代前は2、さらに二世代前は、
2×2という風に数えると、2を17回掛ければいいことになります。
真宗のお坊さんの本は、こう書かれています。
十八代目の自分に至るまで直接関わってくださったいのちが
十三万千七十二人にもなるのです、と。

当たり前のことですが、13万人もの自分の先祖を全部知っている
というわけではありません。13万人です。自分の住む町は3万4千人の人口ですが、
その4倍のひとが、自分に遺伝子をつないでいる。
そのうちの一人でも欠けてしまえば、
自分の今のいのちは無いということになります。

十八代目でこんな話になります。もっともっと先代がいる。
すると想像を絶する樹形図が描かれるでしょう。
生命の網目の中の最後の結び目に自分がぽつんとぶら下がっている。
そして一人一人が全部ちがう先祖をもって、あるときは絡み合い、
あるときは先祖を共通に持っていて、
その網目の全体像なんか誰も見たことが無いのですね。
これはちょっと恐ろしいような図です。

遺伝子のつながり(肉体のつながり)だけで、こんな話になります。
まして考え方や思想なども、自分たちは遺産を受け継いで勉強してきているのです。

このようなことをつらつら思うと、自分とは何であるのか、
短い時間で浅はかな頭を使って考えたことなど、とてもちっぽけな気がしてきて、
浅薄な考えが吹っ飛んでしまうような気がします。

それとともに、自分の存在の重みといいますか、
大きなバックグランドを持って生まれてきていて、
もっと自信と安心感を持っていいのではないか、そんなことも思います。
いのちの海が押し寄せては引いていく運動を繰り返している。
自分はその一員(ちっちゃな波)なのですね。

(2014-05-30 SNS日記より)

自分をどう見たらいいのだろう [身辺雑記]

自分のことは、すでに分かりきったこととして考える習慣がついている。
自分は欲を持ち、こんなことが好きで、そしてある目標を持ち、
でもこのような癖があるなど、なんとなく自分の存在というものを了解している。

でもこれで、自分については理解が完了したといえるのだろうか。
そのように感じている自分は本物なのだろうか。
疑問に思うことが増えた。

べつにジョハリの窓のことを言うつもりはない。
もっと根源的なところの自分の存在が
はたして分かっているのだろうか、という疑問なのだ。

1年半ほど前の経験をすこし語ってみたい。
寝たきりでほとんど意識があるのかどうかも
わからない状態が3年続いた母が、
一昨年の11月に衰弱して亡くなった。

神式の葬儀を済ませたのち焼き場で待つ間に
親戚一同の集まる会席が設けられた。
喪主の自分はここで出席いただいたお礼を述べ、
母のこれまでの経過などを述べる短い挨拶をする
つもりだった。

母のこれまでの人生を語ろうとした。
母の人生・・・
と言い始めたときに、急に嗚咽のがこみ上げてきた。
これまで育ててもらったいろいろな光景が、
一気に襲ってきた感じがした。喪主の自分は、列席者の前で、
襲い来る感情の波に翻弄されて立ち往生してしまった。

だれも発言しない、喪主も立ち尽くしている。
そんな時間が何分間か流れた。
ようやく平静を取り戻した自分は、短く挨拶をまとめて座った。
家族の前で泣いたことなどなかった。
だれも言葉を発しなかった。

自分の心の深いところで、母の人生は哀れだったな
という気持ちが奥深く流れていたのだろうと思う。
普段はそんな感情は意識すらしていなかった。

その経験から、自分は思う。
いま意識の上でこれが自分だと思っている自分は、
本物とは言えないのではないか、ということを。
葬儀での失態から、自分という存在を成り立たせている
深くて見通せないようなさまざまな要素というものの
存在を思い知った。

もっと奥深いところで、自分の存在は、
長い時間の流れのなかで、両親のしつけばかりでなく、
記憶にもないような人々からも教えられ、
そのときどきで必死に学び、
自分というものを形成したのではないかと思う。

別の分かりやすい表現をすれば、
人間はほんとうに恩知らずで、
もらったものは受け取っておきながら、
そのことを都合よく忘れてしまう。
ぜんぶ自分の努力で獲得したと思っている。

赤子から少年になるまで、自力で何かを獲得する
なんてことは出来るはずもない。
でもそれを忘れて、自分でやってきたくらいに思っている。

自分の身体も、自分で作ったわけでもないのに、
顔も、脳みそも、手足も、自分で関与して作らなかった。
でもこれが当たり前のように自分だと思っている。
寝ている間も、肺が空気を吸い、心臓が脈打ち、
食べ物を消化しているのに、それを意識することすら
出来ない。

自分の存在は、網の目のように絡まったさまざまな要素が、
うまく作用してここにあるだけなのではないか、
そんなことをこのごろよく考える。

そうあらしめているいのちを育んで包んでいるものは、
いったい何と呼ぶべきなのだろう。
ついでに、このような自己存在のあり方を
徹底して究明してきたのが仏教の教えなのではないか。

(2014-05-30 SNS日記より)

孤独について [人生]

日本の社会で、孤立した人間の姿が目立つようになったと感じる。
その背景として、西欧的な思考を自己のものとして取り入れて、
人生を考えるようになったことが関係していると自分は考えている。

いつの頃からか、日本人は西洋的思考の枠組みの中で
ものごとや人生を考えるようになった。
以前はそうではなかったはずだ。

西洋思考の本質は、個の自立であり、これを前提に構築される。
個人は周囲のしがらみとか因習から独立した自由な存在であるべきだと考える。
またみな平等でなければならない、平等であるべきだという考えがある。

私見では、この考え方のさらに根底にあるのは、神に対峙する人間、
神と契約を結ぶ人間の姿がある。神の前で、
個人の自由意志により信仰を選び取り、神の前ではだれもが平等なのだ。

ところが日本人の内側には、このような神と対峙する人間という構造が
しっかりと構築されているとはいえない。

神なしで、あるいは古来の八百万の神の中で、自由意志と平等の意識が専行している。

その結果、人間の存在が、拠って立つ根拠が不明瞭なまま、ふらふらと浮遊している。
その帰結として深い孤独の中に自らが置かれていることに気がつくようになる。

神との対峙構造を持たない、自由で平等な存在とは、
いったいどのようなものだろう。
自らが神となる超人思想に陥るのか、
あるいは浮遊した幽霊的な存在としての人間なのだろうか。

また孤独に対してどのようにして耐えようとするのか、
その方法を持たない人間の姿を思い浮かべる。

なぜ生きるのですか?と問いかけたときに、
明確に答えうる日本人がいかに少ないことか・・・

古来、日本人は大乗仏教を基礎にした生きる規範を持っていたと思う。
大乗仏教の根本には、自己の存在には実体がなく、
ただ縁起の結び合いでさまざまなことが生起していると見る。
自分の存在は、さまざまな縁起のおかげでここにあると見る。

自己の存在は孤立してありえない。まして自分の意志で自分を創ったわけではない。
おかげさまで自分がここにいられるという感覚が当たり前のことだった。

縁起により自分が形づくられ、縁起の結び目が解ければ、自分は解体される。
キリスト教の神のような存在は意識されないが、
山川草木すべては自己と別ものではないと考える。
その中の一部が因果応報で自分になったと見る。

自由と平等という西欧流の思想を受け継ぎながら、
感覚的にはそれとは背反する大乗仏教的なものを自然なものとしている。

まことに日本人は、若いころはある意味で分裂しているのだが、
中高年を境にして思考の混乱がおき、そしてどこへ向かうのか分からないが、
ふらふらしている老人が多いと感じてしまう。

ちなみに自分自身は、この古来の思想に回帰してしまった感がある。
もうニーチェなどは読まない。

(2014-05-27 SNS日記より)

知るということ [人生]

カエルの目は、人間の眼とはことなっていて、
とてもシンプルな機能から成り立っているらしい。
カエルの目は、静止している物は見えないのだそうだ。

視野の中で動くものがあるとき、
はじめてその変化した部分を知覚できる。
動くものがあり変化する部分が視覚に捉えられる。

しかしカエルのことを笑えない。
人間のなかにも、変化しないと知覚できないものがある。
人間も、同様に鈍感なのだ。

持っていたものを奪われたときに、人は痛みを感じ、
それまで持っていた大切なものの存在にはじめて気づく。

愛情も健康も、人生で重要だとされる事柄は、
ほとんど普段は自覚できない。
奪われるまでは、その存在は意識に上っていない。
当たり前だと思っている。

皮肉なことだが、喪失することにより存在を知る。

いやそれまで持っていたというのは、
じつは正確な言い方ではない。
持つようになったことすら、
自覚しないままで居ることが、大半だろう。

自分の努力で得たと思っていることも、
失ってみて自分の力で保有したわけではなかった、
と気づかされることが多い。

与えられ、そして奪われる、
という言葉の重みを感じざるを得ない。

与えられているもの、与えられているものごとを、
人間はきちんと自覚できないで生きている、
と知っておくことは大切なことだ。

寝ているときも息を吸い、心臓は動き、血は巡っている。
どこかに障害が出たときに、はじめて慌てふためき
健康の恵みというものを知る。

そう考えると、いちども奪われたことのないものの
価値に人間は気づくことができない、ということになる。
動きのないものは知覚できないカエルの目と同じだ。

生きている間じゅう、与え続けられているもの、
それをしっかり自覚できないくらいに、
自分は無知なのだろうと思う。

(2014-05-26 SNS日記より)

日本人が培ってきた感情 [宗教]

文学における個性の発露とか、感情表現のことを考えているうちに、
日本人特有の、体質に合った感情表現があるのではと思うようになった。
(またしても、コムヅカシイ話になるかもしれない・・・)

古くさい日本映画やドラマのことを思い浮かべている。
たとえば水戸黄門シリーズのラストのシーン。

悪人どもを懲らしめて一件落着、
心も晴れ晴れ、ご一行様は再び旅立つ。
空は日本晴れで、またとない良い天気。
松並木の街道を一行は手を振りながら旅を続ける。

若い頃は、なぜこんな古臭いシーンを入れるのだろう、と疑問に思った。
決まってこのパターン化したラストシーンが繰り返される。

でも今思う。
このシーンがあってはじめて、このドラマの完結があり、
日本人の感情は浄化され、納得していたのだと。

この葵のご紋が目に入らぬか・・・
という名せりふも同様だ。
これが無ければならない。
カタルシスに欠かせないのだ。

では、これらの表現で、個人や個人の感情が
なにか言われていただろうか。
ただ松並木があり、日本晴れがあり、
笑顔の一同様がいる。
感情は、どこにも具体的に表現されていない。

ただ「その」感情でみた外界の風景や
印籠があるだけなのだ。

寛一お宮の物語の名シーンでも、
月が泣いているという表現がある。
表現したい感情を直接表すのではなくて、
「その」感情で見た月がどのような顔を
しているだろうかという部分を描写する。

日本人はこのようにして感情をモノに託して、
表してきたということに気づく。

好きな芭蕉の句に、
荒海や 佐渡に横たふ 天河
というのがあるけれど、
こんなモノに託した優れた表現はないと感じている。
ここには、旅に疲れ果てた自分という個人名や、
ひなびた田舎の海に、輝く星空を見た
という行為の言及も無い。
ただ目の前にあるモノを介して
自己表現と感情表現をしている。

欧米人と向き合うときに、日本人は感情の表現力が
無いとか、下手とか言われるけれど、
どうもそういう問題の捉え方とは異なるのではないか、
とおもうのだ。日本人はそのような、個人を意識するとか
個人の感情を意識するように、言葉と文学を育ててこなかった。

日本語会話には、主語というものがあらわに言われることがない。
これも共通の土台があって理解されるのではないかと思う。

西欧流の哲学や思想には、こちら側には主観があり、
向こう側に対象となる客観がある、という根本構造がある。
これをベースに発展を遂げてきたと思われる。
また、キリスト教の根本を支えている原理でもある。
(逆に、キリスト教から派生しているとも言える)

ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言う」
というイエスの言葉を思い出し、外へ出て激しく泣いた。
                     (マタイ 26節75)

とても印象的な記述で、福音書というとすぐ思い浮かべる一節だが、
主語と行為が(英文法そのものに)明確に書かれている文章だ。
日本人はこのような表現はして来なかったと思う。

しかし、いまや日本人もこの思考のフレームを疑問なく受け入れている。
そのことで多少の混乱があるのではないかと思うけれど、
やがて優れた表現形式に到達できるだろうか。

(2014-05-15 SNS日記より)

個性の発露 [文学]

T・S・エリオットの詩はむかしからよく読んだが、エリオットの詩学は難解で理解しやすいとはいえない。
それは内容が難解なためである。
(したがって、この日記も難解になる可能性大である)

しかし、エリオットの言わんとしていることは、個性の発露が詩という文学を成り立たせる要点なのではないということだ。逆に個性を消滅させることにより、自己をより価値あるものに服従させなければならない、という考えだ。

詩や文学は、個人の感情を表現し、個性を発露させるものであると考えるのが一般的だから、エリオットの考え方はたしかに理解しにくい。しかし、いつしか自分もエリオットに賛同するようになったということを白状しなければならない。

個人の感情など、ありふれていて、特別にたいしたものではないという諦念に似たものがある。しかし、感情を軽視するという姿勢とは少しちがう。よくよく振り返れば、さほどお前さんは独自で天才的な感情を抱いているわけではなかろう、ということだ。そんなに自分を特別視して、感情を発露したところで、それだけで文学が成り立つわけではないと気が付く。

同人誌の詩などには、この個性主義の自己の感情に溺れきって書いたという作品が並んでいることが多い。でもそれは他人の眼から見れば、ありきたりで特別なものなど感じない感情表現だなと思う。その作品を否定する気はないけれども、文学の核心は別のところにあると感じる。

何が文学や詩を成立させるのかという大テーマになってしまうが、やはりエリオットはうまいことを言っていると思う。

自己流に解釈してしまえば、価値ある普遍的なものへの通路を開けるのが個人の役割ということだ。亡くなった故人とのコミュニケーションを行う巫女さんのような役割だ。亡くなった人の考えを訊くことが大切なのであって、巫女さんが出身がどこでどのような人格かなどは問題視されない。死の世界との通路を開けてあげる役割こそ本質だ。

このことは芸術一般にも通じていて、たとえば絵画の世界でも同じだなと感じることが多い。画家の個性が注目されるのではなく、画家の個性を通じて、どれだけ風景の真実や花の真実に迫っているかが問われる。花はこれほど美しかったのかと気が付かせてくれるもの、あるいは風景の美とはこういうものなのだと納得させてくれるもの、それが普遍的な価値あるもので、そのガイド役として画家が介在し立ち会っている。画家に個性はあるけれども、その個性がテーマではないということだ。

逆説的に、自分固有の表現などに悩む必要はないともいえる。むしろ普遍的な価値あるものへの没入の度合い(深さ)やその世界を描ききっているのか、その点に悩むべきだろう。

(2014-05-13 SNS日記より)

10年という目安 [上達・練習]

芸ごとを、ひと通りなせるようになり、人に教えられるようになるには、
5,000時間ほどの練習がいるとよく言われます。

これは、ふしぎに、いろいろな分野におけるその道の専門家が共通して言うことですね。
この5,000時間という時間は、ある程度客観的な数値なのだろうと思います。

一日2時間の練習を欠かさず重ねた場合、7年で5,000時間に到達します。
休日とかの事情などがあるので、芸ごとは10年頑張れば、一端のもの、
つまり師範級になるということです。

この10年を長いと感じるか、短いと感じるか。

そのへんの気構えによっても、達成する割合が違ってきます。おそらく経験からいって、
そのことがらが好きで仕方ないならば、挫折せずに10年間続けることが出来るでしょうね。

ところが、ほとんどの場合は、10年も続かず、3ヶ月くらいで止めてしまうことが
多いのではないでしょうか。

その理由は、気分の変化や小さな変動の波に、
すぐ翻弄されて、疑いを抱いてしまうためです。

飽きてしまったとき、続ける意味がわからなくなったとき、
やろうという信念に疑いが生ずるのですね。

信念を持って続けることは難しいです。
だから師範級の人は少ないし、達人というのは稀なのです。

10年腰をすえて努力できるかどうか、言葉では簡単なのですが、
これがね、簡単じゃないのです。

芸ごとばかりでなく、テーマを決めて勉強していくときも、
投資活動ををするときにも、同じ事情だなということを、このごろ思いますね。

(2014-03-29 SNS日記より)

寂寥 [文学]

むかしから愛読する詩人に、辻征夫さんがいる。
いつも傍らに詩集を置いていて、パラパラと読む。
次の詩は、『鶯』という詩集に収められている。

++++++++++++++++++++++++++++++

裏庭
         辻征夫

梅の木が
裏庭にあるはずだ

裏庭にはゆかぬから
しばらく見ぬが
たしかに
あるはずだ

(五歳のとき
いちばんたかい枝に
おおきな鳥がきて啼いていたが)

爺 あの鳥は
どこへいったのであろう

++++++++++++++++++++++++++++++

ボクは寂寥という感情を覚えるけれど、
最近はこのような感情を
あまり話題にしないものだ。

過去への愛惜や、
どうしようもない過ぎたことがらを
いとおしむ感情。

それはなぜなのだろう。

そして、詩はこの寂寥というものを
背景にうたわれる文学のひとつだと
思っている。

現代の生活は、それらの気持ちを排除することで
成り立っているのだろうか。
それを見つめないまま生きていけると
考えているのだろうか。
それが可能だと考えているのだろうか。
人生から寂寥を排除することなどできるのだろうか。

思うようにならない人生を
そのまま見つめることだって
あっていいと思う。

ところが成功哲学とか
ポジティブ思考とか
いつも太陽の日が射しているような
明るいところで生き続けられるかのような
考え方が一般化してしまい、
負の部分や、陰の部分に目が行かなくなった。
光の中に居続ける強迫観念に
囚われるようになった気がする。

負の部分があって、正の部分も光るのに、
望ましくない部分を排除してしまえば、
正の部分も輝きを失う。
光を描こうとすれば、暗黒を描かなければいけない。
暗黒を消してしまうと光も輝きを無くす。

光と陰など、
対立概念は、片側だけでは存在できない。
人生の喜びも、寂寥とセットになっている。

(2014-03-27 SNS日記より)

結婚記念日 [身辺雑記]

今朝目覚めて、そう今日は36回目の結婚記念日だ、
と思った。
「記念日だね」
「そう!何年目になるの?」
「結婚したの1978年だったから、36年だよね」
「今日はなんにも用意していないよ。
それに夜、会合があるから・・・」
「ああ、ま自分も、夜は絵画教室だしね」

LINEで娘たちから、おめでとうのメッセージが届く。
仲がいいとか何とか・・・
娘は成人して、それぞれ長野県の別の町に住んでいる。
娘も大きくなるわけだと思った。36年も経てばね。

配偶者は、いつまでもそばにいると思い込んでいる。
で、あとで振り返れば、余計なことに時間を使ってしまう。
ほんとうに家内に向き合って生きているだろうか。

そろそろ考えないといけないなと思う。
あと10年、今のままで暮らせるだろうか。
20年経ったらどうだろうか。

でも振り返ると深刻な諍いやトラブルもなく過ごしてきた。
ときに言い合いはあるにしても、
何日にもわたって冷戦をすることはなかったな。
そういう意味では賢い女性なのだろうと思う。
頼りないくらいにおとなしく見えた。
大丈夫かなと結婚当初は思ったのだけれどね。

先日から、金融関係のメモを整理している。
どこにどのくらいのお金が預けてあって、
ID,パスワードを書いておかないといけない。
保険には何に入っていて、
自分がもしもの場合は、どこへ連絡するのか。

紙のメモにして、それを紛失するとまずいけれど、
家内がネットを使いこなせるとは思えない。
そのメモを互いだけがわかる場所に
しまっておかなければいけない。

36年も経つと、こんなことをしきりに配慮する。
若いころには思いもつかないことばかり。
世の中は無常であって、なにひとつ
変わらないものは無い。

(2014-03-26 SNS日記より)

プラスの足し算 その2 [宗教]

生きているだけで丸儲け、とはさんまさんの言葉です。
この他にも、さんまさんは意外にも(?)いい言葉をいろいろと口にされています。
生きているだけで儲けものという感覚は、とても深いと思います。

この世で生きていくために、たくさんの苦労ばかりします。
苦労続きの人生といっていいです。
給料が減ったとか、能力が低くて職場で差別される、
そしていじめられる、家族関係がギクシャクして冷たい・・・
イヤなことばかりが起きる人生で、いいことなんかひとつもありゃしない、
と思うのも当然ですね。

そんな不満を胸に秘めたある男の1ヶ月間の思いを、
ちょっと物語風に描いてみました。

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ある日、男のもとに健康診断の結果が届き、
すぐ精密検査が必要だということになった。
後日、重大な病気が疑われて、結果はなんと余命3ヶ月
、回復の見込みは薄いと医師から告げられた。
人生で悪いこと続きなのに、泣き面に蜂、今度はとどめを刺されたようなもの。

いのちに関わる一大事となり、仕事どころじゃない。とりあえず入院して、
検査しながら様子を見ていくことに。
これからの行く末を考え込んでしまうと、夜も寝られない。
寝付こうとしても暗い部屋の天井を眺めては、死ぬことの恐怖が襲ってくる。
死はやはり怖ろしい。それがもう直に、まちがいなくやってこようとしている。
まさにどん底をはいずるような、
あぶら汗が滲むような夜を送るはめに男は陥ったのだ。

まだ健康だった日々のことがらが脳裏に浮かぶ。
職場でいじめられていたといっても、殺されるわけじゃなく、
いのちは大丈夫と思っていたので、
今思うとそんな苦労は大したことはなかったな・・・

家内との関係が冷えてしまったけれど、死んじゃえば、
そんなケンカに何の意味があるんだろう?
思えば自分からはやく謝ってしまえばよかったのだ。
へんな意地を張ったばかりに、
スッカリこじれて修復もできないほどになってしまったな・・・

もっと健康に留意して、酒、タバコ、油っぽいものを控えていれば
よかったかもしれないな・・・家内が口をすっぱくして言っていたのだが、
そんなことを言われるのが、とても煩わしかった・・・

しかし、死の床にいる現在、健康だった日々が、なんと輝いていることだろう。
メシが旨くないとか、言い方が気に入らないとかケンカしていた頃の毎日が、
なんと貴重で大切な日々であったことだろう。
よくない事柄が、みんな懐かしい思い出になってしまっている・・・

死に向かって着実に落ちていく自分には、
そんな日常がとても尊く感じられるのに、
もう手の届かない世界になってしまった。
生きてさえいられれば、ちいさい苦労なんか一体何だというのだろう。
いのちあってものものダネだ、という言葉の意味はこのことか・・・

日々の面白くない出来事に不平不満タラタラで、
なんてオレはツイテいないんだと嘆くばかりだったのに、
その日々が輝いて見えている!
不幸だと思っていた日常が、とんでもなく幸せなオーラに包まれて見える。
なんということだろう。もういちど生きたい、やり直したい・・・
この気分は、懺悔した死刑囚と同じ心境なのだろうな。

そんな後悔の日を送りつつ、再検査を繰り返しているうちに、
とんでもない知らせが男にもたらされた。
大病だという見立てはどうも誤診らしいということが判ってきたのだ。
やがてそれは誤診だったということになった。

輝ける日々の世界に男はとつぜん舞い戻った。
ジェットコースターのように激しい上下運動に翻弄された1ヶ月間だったが、
最終的には息を吹き返したのだ。

そのときの死のどん底から、輝ける平凡な日常へと上昇する飛行感覚。
もとの世界に浮上した距離感覚。
元へ戻れるのだと思う高揚した気持ちこそ、
与えられた人生がプラスだという証明なのだと身にしみてわかった。
そのプラスは、まさに贈り物だったということも。

(2014-03-22 SNS日記より)
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