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既成概念を変えてしまう実験 [脳]

最近出た本を読んでいますが、じつにねじれた気持ちを持ちました。
と同時にやっぱりそうなんだという納得の気持ちもありました。(注)

その本の著者はこのように書いています。
「今人間は、自分たちのもう一つの特別さ・プライドを捨てねばならない局面を
迎えていると私は思う。
私たちは自由意志など持たず、クモや雲と同じで、環境の作用をただただ受け入れて、
行動が必然的に決定しているだけの存在であることを受け入れる、
そんな局面を迎えているのだ。」

そのことを明らかにした実験とは、ベンジャミン・リベットという
米国の神経科学者が行ったもの。2つの種類の実験がありますが、
ここでご紹介するのはそのうちの一つです。

開頭手術が必要な患者の脳に、直接電気刺激を与えます。
上腕部の皮膚に触られている感覚をつかさどる部位に、刺激を加えると、
患者は上腕部が触られているという意識を得ます。これは当然な結果です。
リベットは、その時間的な経過を調べました。
驚くことに、0.5秒以上の時間、電気刺激が加えられないと、
意識には触られたという知覚が生まれないことを明らかにしたのです。

つまり0.5秒以上の刺激が続いたあとで、はじめて脳はその刺激を知覚する
ということです。別の脳の部位に関して同様な実験を行っても結果は同じだそうです。
われわれは、世界で起きている事象を、いろいろな感覚器官で知るにせよ、
0.5秒ほど遅れて知覚しているということになります。
いわば意識は0.5秒遅れで、ズレているということです。

それではなぜわれわれは高速道路で車を運転でき、バッティングセンターで
ボールを打つことができ、バドミントンや卓球競技ができ、
すばやい動作でスキー板を操れるのか、ということになります。

リベットの導き出した結論は、驚くべきものでした。
それはわれわれの脳は、まだ意識を伴わない0.5秒前に無意識の力で
環境変化に遅れないように、適切に対応して行動している。
そして、意識はそれを追いかけている「遅れている追従者」なのだ
という結論でした。

意識や意思というものは力を持たない存在で、意思や意識で環境を
変化させていると思っているのは、完全な誤りで、
いわば錯覚なのだという結論になります。

かなりびっくりするような結論です。
いっぽうで、スポーツにおける繰り返し練習の重要性がなぜ叫ばれるのかが、
すぐ納得いった気がしました。基本練習を繰り返すことで、
意識的に行っていた適切な運動要素を、しだいに何も考えずに
苦もなくできるようになります。無意識に体が動くらいに熟達したときに、
初心者のぎこちなさが消え、適切ですばやい運動をこなすようになります。

車の運転もそうですね。教習所で練習しているときは、左右を確認しながら、
ウィンカーを点灯させ、ギアをローに入れクラッチを徐々につなぎながら、
右折するという動作の習得に苦労しました(マニュアル運転です)。
それが、いまはいつ切り替えたのか覚えていないのにきちんと運転しています
(今はオートマになりましたが)。

技は体で覚えろ、と昔から言われています。まさにその経験を裏付けるような
実験結果です。しかし意識とか意思というものの地位が変化したのは確実です。
つまり第一番の位置から滑り落ちたのです。

(注)妹尾武治著『脳は、なぜあなたをだますのか−知覚心理学入門』 ちくま新書


2016年8月19日(金) SNS日記より
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