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リベットの実験 その2 [脳]

(前日記のつづきです)

リベットの行った2番目の実験の結果について記します。
こちらの実験結果も、ある意味でかなり衝撃的なものでした。
この実験では、人間の意思というものがうまれ、
それが体の運動になっていくプロセスを、時間的な推移を追って
調べたものです。

脳の電位を計測しながら、被験者にボタンをしてもらいます。
ボタンを押そうという意思が決まった時刻を計測するために、
被験者は目の前の時計の針に注目します。
押そうと思ったときの針の位置を記憶します。
そして実際に手が動いて、ボタンが押された瞬間も計測します。

押す意思が決まってから、だいたい0.2秒ほどの時間が経過して、
実際のボタンが押される結果が出ました。
このくらいの遅れはあるものでしょう。

しかし驚くことは、ボタンが押される0.5秒前に、
手を動かす脳電位には変化が生じており、
手を動かす動作が開始されているという事実でした。
ボタンが押される0.5秒前というのは、変な結果です。
なぜならボタンを押そうという意思が固まる0.2秒前より、
さらに0,3秒も前の時刻だからです。

意思を固めた時刻の計測方法に、疑問が呈されました。
しかし視覚処理の時間、神経の伝達時間など考慮しても、
0.3秒という時間は長すぎるということで、
これらの批判はその後否定されています。

この結果は、人間が動作を開始しようとする意思や意識が生まれるよりも、
かなり前の時間に脳の電位は動き始めていて、
それを自意識では意識していないことを意味します。
手を動かそうと思った時には、すでに手は動き始めているということです。

自由意志というものが果たして人間は持っているのかという議論が
なされているようですが、まだ結論は出ていません。

しかしこの結果は、日常の経験からは納得いく部分もあると気が付きます。
感情が昂ぶったあまり思わず子どもを打っていたとか、
思いもしない言葉を吐いてしまったとか、
自制心とは別に「無意識の行動」を起こす仕組みがあって、
何かの折にそれが噴出するように現れる、あるいはやってしまう。

人間の行動には、自分では意識しない部分で行動をすでに
始めているのではないか、という感覚です。
すると理性的な人間といっても、それは自分の行動を自分で意識できる
時刻以降のことがらであって、意識する前の行動に、理性の抑制は利きません。
つまり気が付かないうちにやってしまうのです。

この自由意志がないのかも知れないという実験結果は、
人間の本質に迫るものを秘めていて、奥深いものです。
前日記にも記しましたが、人間の行動は、体や無意識で働く回路によって
引き起こされていて、意識はそれを後追いしている存在に過ぎないということです。

話は突然飛躍しますが、親鸞聖人の言葉を思い浮かべます。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」とは
歎異抄十三条の言葉です。自分が善人であるという自認は、
おかれた環境や働きにより何の力も持たないのだという事実を
示していると思います。自力の限界を示しています。

偽善者はなぜ偽善と呼ばれるのか、それは自分の力で
自分は善人でありうると固く信じているからです。
しかしリベットの実験は、その思いを打ち砕きます。
自分が善人だ、だから悪いことは犯さないという意識が生まれる前に、
すでに何らかの行動を起こし、あるいは何らかの感情を持つわけですから。

自分は悪人なのだ、地獄行きは間違いないと明言する親鸞聖人には、
この内面のこころの動きを直覚していたのだろうと思います。


2,016年8月20日 SNS日記より
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