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深く理解し納得する [悟る]

真実の言葉というものは、平明で、かつ大した意味を持たないように感じてしまう。
しかし、それは言葉を受け取る器が小さいためで、その深さがこぼれ落ちている、
ということがある。

昔読んだ本が、新鮮な驚きで蘇るという経験は、じっさい長年生きてくると起きる。
繰り返し読まれる書は、こちらが経験を積むほどに、真実に触れていたのだと
気がつくことが多い。

おそらく宗教の書に現れる言葉は、どこまで心境が深まっても読み尽くせない淵を
持っている。

同じことが人物に対しても言える。その人物の深さというものは、
外見や容姿などから容易に推察できるものではない。
偉大な人物が傍らを通りすぎても、目の暗い人にはそれを感知することができない。

般若心経のなかで、数多く呼びかけられている舎利子(シャーリプトラ)という方。
釈迦の弟子になる前は、250人の弟子を抱える大きか教団の主催者であったらしい。
そのシャーリプトラが、ある日端正な振るまいと静かな歩みで道を進む若者に、
惹きつけられた。

その若者は釈迦の教えを聞いて日の浅いアッサジという弟子だった。
シャーリプトラはこの若者に問いかける。
あなたはどのような教えにしたがっておられるのかと。

するとアッサジは答えて、釈迦という方の弟子になったばかりで、
すべてを存じているわけではないが、と釈迦の教えを語った。

このときにシャーリプトラは悟りを得たと書かれている。
そして250人の弟子とともに釈迦に帰依した。

この話は誇張して作られた物語でなく、おそらく本当だろうと考える。
真実への目が開くぎりぎり直前に、アッサジに出会い、
その言葉によって、一気に理解と納得に至った。そういう風に感じる。

何を理解し、何を納得するのか、という話があると思う。
縁起で成り立つこの世の成り立ちと自我ということに尽きると思う。
このなかに生死の問題や、諸々の事柄が関連する。


(SNS日記より 2016年8月23日)
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