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雨読記 [身辺雑記]

4月12日(日)
久しぶりの晴天で、板を担いでチャオにでも出かけようかとも思ったが、
買い物のお付き合いやらサボテンの植替えなどがあって、
ほぼ家の周辺でうろうろした。

先日買った日高義樹『中国、敗れたり』を読む。
事実に基づく分析が説得力を増している。
示唆に富む本だ。

中国は海洋国家たり得ない。これまでの歴史を見ても、
海洋の外へ出て覇権を取ったことが無い国である。
基本的に陸地の戦争に明け暮れてきた国で
(だから中華とか陸地の中央の国とか言っている)、
基本は陸軍を中心とする国家である。
毛沢東だって陸地の争いしかやっていない。
いま熱心に海軍軍備の増強を試みているが、
実力レベルは先進国にとうてい及ばず一流たり得ない。
海洋国家たり得ないということは、
G2などという大国のホラを吹く資格は無い。
中国は、大量資源輸入国で、中東やアフリカから海路をつかって
資源を大量輸入している。
泣き所は海路を自ら単独の力では確保できないことだ。
同盟国のいない中国は、周辺諸国との争いを起こせば、
周辺国から締め上げられ海路が封鎖されてしまう。
マラッカ海峡など中国船は通れなくなるだろう。
そうなればすぐ中国は詰んでしまう。

アジアインフラ投資銀行(AIIB)など、チャンチャラおかしいと感じる。
日本のマスコミは、日米のバス乗り遅れ論を喧伝しているみたいだけれど、
そりゃ逆でしょと思う。
GDP1位のアメリカと3位の日本が参加しなければ、
集まる資金の大半は、中国が出さざるを得ない。
しかしいちばん金がほしいのは中国なのだ。

自分を過信し続ける限り、中国の力による現状変更の動きは
止まないだろう。またアメリカのアジア施策の今後の姿は見えないが、
現状の弱腰オバマ外交が続けば、
中国と日本との衝突もありえると日高さんは分析している。
(つまり誇大妄想の中国と、衰退していくオバマ外交のはざまで・・・)
アメリカ次第だが、日本の核武装もひとつの選択肢である
と日高さんは結論付けている。

4月13日(月)
朝から雨の降りどおし。
絵画教室は悪天候のため中止。
何も予定の無い一日となった。
サボテンの植替えをする。
昨日もとめた『宇宙の事典 オールカラー版』を眺めて過ごす。
宇宙のことなど、生活に何ら影響しないし、どうでもいいと思うのだが、
そう思いながらも星雲や銀河の話に魅了されてしまう自分がいる。
ダークマターの存在について勉強した。
夜NHKの特集番組で、土星の衛星エンケラドスに生物の生存可能性が
高いという話を聞いた。エンケラドスが水蒸気のジェットを放出しており、
地下に熱水があることがほぼ確実視されているとのこと。
原始地球で生命が誕生した環境に極めて近いものがあるということで、
10年以内には結論が出るだろうとのことだった。

(2015-04-13 SNS日記より)

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表現の自由 [身辺雑記]

デンマークで連続乱射事件が起き、警察の応酬で男を射殺したと報じられた。
これはイスラム過激派のテロであるという推定がなされている。

ねらわれたのはある画家が参加している集会で、
画家はイスラム過激派から指名手配されている人物だったようである。
指名手配の人物とは、いずれも預言者ムハンマドを揶揄したり戯画化したり、
イスラム教を貶める表現をした指名手配者たちである。

危惧しているのはこれらの事件の本質として、
宗教戦争が始まっているのではないかということだ。
表現の自由の名のもとに、異教徒の聖者を
どんな風に表現しようと意に介さないという頑なさを感じてならない。

言うならば、一神教同士の相克、その争いの際限の無さを見る思いがする。
矛盾という言葉の語源を見るまでも無く、
どんなものでも突き通す矛と、どんなものでも食い止める盾が争ったら、
何がおきるのか。どちらも、どんな相手でも破れるという「絶対」を含む。
相反する絶対同士が闘う戦場からは本当の結論は出ない。

身の周辺では、西欧流の考え方(つまりはキリスト教圏の考え方)を
ベースにニュースが報じられ、意味づけされている。
だけれども、今、報じられているような観点からは、解決を見ることは無いだろう。
それは何百年という宗教戦争の歴史(十字軍の戦史)を見れば明らかだ。

表現の自由に関して、それを制約すべきだという根拠は、あまり明確ではない。
一神教の教義からは、それは出てくるはずの無いものだ。
われらの神こそ唯一絶対の神ならば、それ以外の異教徒の世界の事情に関しては
何を表現しようと構わないとなる。

しかし、そこにこそ問題の本質がある。
この世界には自分たちしかいないと考えるのか、
多様な世界が広がっていて、ちがう価値観をもつ、
ちがう人々が生きているのだと観るのか。

今回の事件などをみれば、後者のような姿が、この現実の真実の姿だ。
ならばこの際に問いたい。
なぜそのような世界を、神は作ったのだろうか。
その意味は何なのだろうか。

(2015-02-16 SNS日記より)

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あけましておめでとうございます [身辺雑記]

新年が明けました。
皆様方におかれましては、
よい年となりますようお祈り申し上げます。

昨年、年頭のある会合で述べた一年の計の言葉が
あります。じつは、その言葉のとおりの年になりました。
人前に立つことが嫌いで、いつも目ただなくひっそりと、
生きてきた自分ですが、昨年は、すこし人前に出る
一年にしたいと言いました。

すると不思議に言葉通りになり、地方のTV番組に出演したり、
また住んでいる駒ヶ根市の観光PR誌に出演する機会が巡ってきて
インタビュー記事が掲載されました。
また地元のスキー場で滑走している姿が、
ニュース映像として使われたこともありました。

自分の思いが、なにか深いところで必要なものを
引き寄せるのかもしれないと思います。
超常現象は信じない方ですが、
潜在意識の作用みたいなことがあるのでしょうか。

そして今年の年頭の計は何にしようかと思案し、
実りの年にしたいと思いました。
努力したり打ち込んできたものが
実りを迎える年にしたいと。

画像は年賀状です。
数点作成しそのうちの2点ほど掲載します。
本年もよろしくお願いいたします。

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(2015-01-01 SNS日記より)

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