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いつの頃からか・・・ (自分のためのメモ) [死]

日々の暮らしの中で、イヤなこととか不愉快なことなどが
身の回りに起きてきます。
放っておいても、これらの歓迎されないことがらは次々とやってきて、
怒りがこみ上げたり、思わず罵声をつぶやいたりすることもあります。

しかし、いつの頃からか時間超越の技を覚えてから、
怒りの感情や不愉快なことがらへの対処の仕方が、
かなり変わりました。

なにも難しい技を使うわけではありません。
ほんのちょっと、想像力を働かせて、
時間を飛び越えるのです。
どこへ?どの時点へ?

それはズバリ、自分が死の床にふさっていて、
自分の人生を振り返っているその瞬間です。
自分の人生とはなんだったのか、これまで過ごしてきた人生の
イベントやら出会った人々などを思い浮かべている、
その時間にです。

怒りに駆られているとき、こう考えるのです。
死の床についている自分は、
はたして現在の怒りのことを覚えているだろうか?
イヤなヤツのことをまだ怒っているだろうか?

いやいや、そんなことは思い出しもしないはずです。
そんな小さな日々のことがらなど、
記憶の中から消え去っていることでしょう。
きっと妻や家族のこと、これまでの人生のイベントのことを
思い出しているに違いありません。

そして愛した人々に何を伝えられるかを考えていることでしょう。
ほんとうに大切な事柄しか、頭に思い浮かばないはずだと思うのです。
これは確信を持って言える気がします。

なぜって、まさに人生を終えるときに、
こまごまと、自分をいじめたやつとか
不愉快な事件などを思い浮かべるはずもないのです。
そんなイヤな気分のなかで人生を終えたいと思うでしょうか?

重大な飛行機トラブルや、
テロ事件に巻き込まれたその最中で、
自分がもう助からないと覚ったときに、
その人々は何をしたでしょうか?
手近な紙や、手帳に、人生で一番重要な人々に、
最期のメッセージを書いたのではないでしょうか。

こういう緊急事態のときに初めて、自分にとって
大切なものが何であり、大切な人が誰であるかが
明確に分かるのではないでしょうか?
死を前にしたときに人間ははじめて(ようやく)、
人生にたいして真剣な態度を取れるのではないでしょうか?

それではもう時間切れの状況なのではありますが、
そこに大きなヒントがあるのだと考えるのです。
まだ時間のある、いま。
この現在。
この瞬間に、死の間際を想像することで、
のんきなボクたちは人生に真剣になれるのです。

日々の怒りや、苦労などが、
果たして自分の人生の本質を為しているのか、
あるいはつまらないことがらは、もう
いい加減にしてやり過ごせばいいだけのことなのか・・・
それは、すぐ判断できると思います。
時間を飛び越え、いっきに結論から人生を観るのです。

(2015-03-11 SNS日記より)

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