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自分という存在への断章 [いのち]

お気に入りさんの日記コメントのやり取りで、
ズバリ自己の存在とは何かと問われてしまいました。
なかなか難しい質問ですが、そのとき関連した2つのことを
思い浮かべました。
直接の答えにはなりません(自分にもはっきり分かっていないためでもあります)。
しかし答えを想像していただけたらと思います。

その1:人間は死んだら消えてしまうのか?

これは純粋に科学的な見地から考えて見ます。
この宇宙を構成しているあらゆる物質は、人間の存在を含めて、
消滅することができません。死ねば、やがて腐敗して虫に喰われてしまうか、
焼かれれば二酸化炭素や酸化りんや、ガスとなって煙突からたなびきます。

いずれにしても、体を構成していた元素は、酸化したりして別の物質に変化します。
消えることはありません。消えることが出来ないのですね。
逆にいうと、自分を構成している物質は、
他の生命体や植物が変化したり消化したりして取り込んだものです。
空気や二酸化炭素も同様です。

物質は常に循環していて、もろもろのものが絡み合い自分になったり分解したりします。
その複雑さは、とうてい想像の域を超えています。
いま呼吸した空気は、牛のゲップかもしれないし、海底から湧き出たガスかも知れない。
食べた豚肉も、ブタが食べたえさの変化したもので、
アメリカの草原に生えていた草かもしれません。
生き物は、植物や動物を食べなければ体を維持できません。
そう考えると物質の連鎖はどれだけの広がりを持つのだろうと気が遠くなります。
こんな物質の循環を、地球は何億年もやってきています。
自分の体は、いまは自分に預けられているけれど、
本当の姿は、たがいに受け渡しながら変化しながら、
ぐるぐると回ってきているし、これからもそうなのです。
おそらくお釈迦様の見たものはその全体像に違いないと思います。

その2:自分の先祖は何人いる?

真宗のお坊さんの書かれた本に出ていた話です。
あるときある集まりに出かけたら、別のお坊さんに
問われたそうです。あなたはお寺の何代目の住職さんなんですか、と。
十八代目だったそうで、そう答えると、
先代になる親は何人いると思うか、と突っ込まれたのだそうです。
その住職は、その場で答えることが出来なかったそうです。
答えは、131,072人です。一世代前は2、さらに二世代前は、
2×2という風に数えると、2を17回掛ければいいことになります。
真宗のお坊さんの本は、こう書かれています。
十八代目の自分に至るまで直接関わってくださったいのちが
十三万千七十二人にもなるのです、と。

当たり前のことですが、13万人もの自分の先祖を全部知っている
というわけではありません。13万人です。自分の住む町は3万4千人の人口ですが、
その4倍のひとが、自分に遺伝子をつないでいる。
そのうちの一人でも欠けてしまえば、
自分の今のいのちは無いということになります。

十八代目でこんな話になります。もっともっと先代がいる。
すると想像を絶する樹形図が描かれるでしょう。
生命の網目の中の最後の結び目に自分がぽつんとぶら下がっている。
そして一人一人が全部ちがう先祖をもって、あるときは絡み合い、
あるときは先祖を共通に持っていて、
その網目の全体像なんか誰も見たことが無いのですね。
これはちょっと恐ろしいような図です。

遺伝子のつながり(肉体のつながり)だけで、こんな話になります。
まして考え方や思想なども、自分たちは遺産を受け継いで勉強してきているのです。

このようなことをつらつら思うと、自分とは何であるのか、
短い時間で浅はかな頭を使って考えたことなど、とてもちっぽけな気がしてきて、
浅薄な考えが吹っ飛んでしまうような気がします。

それとともに、自分の存在の重みといいますか、
大きなバックグランドを持って生まれてきていて、
もっと自信と安心感を持っていいのではないか、そんなことも思います。
いのちの海が押し寄せては引いていく運動を繰り返している。
自分はその一員(ちっちゃな波)なのですね。

(2014-05-30 SNS日記より)
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