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今日の言葉 ~ご縁~ [浄土真宗]

ご縁をいただいて生きていると浄土真宗の方はいわれる。
言葉はやさしくわかりやすいと思いがちだが、
そんなに単純ではない。
天地がひっくり返るほどの転換が秘められて、
その境地に至っている。

小川一乗さんの著書から。
「・・・これが、生かされているという仏教の基本的な考え方です。
私がいて、ご恩をいただくのではありません。
ご恩が私となってくださっているのです。
そのご恩をすべて取り除いたら、この私は空であり、ゼロなのです。
・・・
腹を立てるご縁が私となってくださったから、私に腹立ちが生まれます。
私が腹を立てているのではありません。
ご縁が腹を立てているのですから、ほっといたらいいのです。
もっとはっきりいいますと、それを信心の人は、
私が腹を立てているのではない、如来さまが腹を立ててくださっている。
私が腹を立てているいるのではありません。
こんな私でも腹を立てるご縁が私になってくれなかったら、腹が立ちません。
腹を立てるご縁が私となってくださったから、腹が立つのです。
だから腹が立っても、何も遠慮することはありません。

仏教に学ぶいのちの尊さ より」

よく考えてみたら、自我が中心にいるのではなかった、
という気づきからこのような自覚は生まれる。
自我が中心にいて世の中動いていると思ったら、
そうではなかった。
裏には自我すら生み出してくれている大いなる存在が
あった。
自我は周辺のちっぽけなものだった。
しかもその自我は、つねに変転していて
常なるものではなかった。
これからも変わり続ける存在だとわかった。
自我は、スクリーンに映し出された幻燈のような
影の存在でしかなかった。

わかってしまえば、とても単純な話なのだが。
こんな明白なことはないのだが。

(2015-10-02 SNS日記より)

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