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アングリマーラへの説法 (自分のためのメモ) [仏教]

超多忙な日々がようやく去って、今日はいちにち
気ままに過ごしました。

アングリマーラという殺人鬼を弟子にした、
お釈迦様の話を思い起こしています。

アングリマーラは優れた能力を持つ青年でしたが、
讒言によりあらぬ疑いを掛けられ、殺人鬼となって
しまいます。

一説には100人の人間の指を首飾りにするという
願を立てて人を殺しては指を奪っていたということですが、
これは後からついた尾ひれかもしれません。

ともかく満願成就の100人目の対象者として、
お釈迦様がアングリマーラの前を通られた。

彼はお釈迦様を後ろから追いかけるのに、
不思議なことに、追いつくことができなかったそうです。

そこでアングリマーラは、お釈迦様に向かって命じます。
「止まれ!」
すると応えて、言います。
「わたしは止まっている、殺人鬼よ。
お前こそ止まるがよい。」

「お前は今歩いているのに止まっていると言い、
わたしは止まっているのに動いているというのか。」

お釈迦様は応えた。
「アングリマーラよ、わたしは止まっている。
生きとし生けるものに害する心を持っていない。
だから心は動いていない。
しかし、お前は生きものへの不殺生の自制心を
失っている。だから心は動き乱れているのだ。
動いているのはお前だ、殺人鬼よ。」

この言葉によってアングリマーラは正気に戻り、
凶器を捨て、お釈迦さまの弟子となります。

        南伝 中部経典 八十六より

なんだ、それだけのことで改心するものかと
若いころは思ってしまいましたが、
歳を重ねるごとに、こういうことはあるのではと
その真実味に打たれます。

殺人を犯していた頃のアングリマーラのこころは、
どれだけ荒んで動揺していたことだろうと思うからです。
そして100人目の満願成就のときに、お釈迦様に出会い、
お前の心は、動いていると、図星のところを突かれます。

人間は後ろめたい部分や気にしている部分を、
ズバリ突かれると、腰砕けになるものです。
(これは合気道の極意でもあるようです。)

アングリマーラのこころには、殺人を犯している己への
後悔の念が49%あり、いや俺はこのまま殺人を
犯していくのだという気持ちが51%あって、かろうじて
悪の道への意思が勝っていたと思うのです。

それが一突きで逆転してしまう。
人のこころはそんな微妙なバランスで
成り立っているように思います。

強がりを言ってもこころは本当のことをうすうすと
知っている。ただ妄想たくさんであったり、
意地を張っていたりすると、
その気持ちが行方不明になる。
で、望んでもいないことがらを、
し続けたりするのです。

余談ですが、イエスはパリサイ人や律法学者たちから、
怒りを買い憎まれる言動をおこない、
ついには磔に遭ってしまうわけです。
お釈迦様の場合は、人の心に一突きして、
相手の心を奪ってしまう。
この凄みがあります。

(2015-11-22 SNS日記より)

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