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弟子たちは・・・ その2 [キリスト教]

イエスは不幸な主宰者だったという思いをぬぐえない。
磔刑になるまでの生きている間に、弟子たちと心の通った
会話をしたのだろうか。
あるいは師弟の間で教えの核心について
それこそ肝胆相照らすというような交流があったのだろうか。
前日記で記したように、それらの疑問に対しては、
いずれも否といわざるを得ない。

イエスの教えが福音書としてまとめられるのは、
イエスの死(AD30年ころ)から、40年以上経過した後の
AD70年から90年頃と言われている。
この40年という年数が意味するものは、
イエスの言葉を直接聴いた弟子たちが、やがて世を去る頃に符合している。
じきじきにイエスの言葉を聴いた弟子たちが存命中は、
口による伝承で、イエスの教えが伝えられたはずだ。

おそらく直接イエスの死を体験した弟子たちが高齢となり、
口伝による伝承が危うくなった頃、福音書が編纂された。
孫弟子に当たる人物たちが記録としてまとめたのだろうと想像する。

冒頭で書いたように、師弟間で問答する教えの核心部分について
言葉が欠落しているがゆえに、キリスト教の真髄の部分が、
イエスの口からこぼれることがなかったと見る。
存命中は、パリサイ人と論争、揶揄雑言の中での
孤軍奮闘という姿しか思い浮かばない。
そして弟子たちはイエスの死に際しては
みな逃亡してしまったのだ。

はたして、イエスは救いについて、どのような内容を
語っただろうか。弟子の信仰に関する悩みを聴いて、
イエスは穏やかな表情で、ペトロよ、それはこうなのだよ
とやさしく諭したことだろう。
しかしその内容はついに語られることはなかった。
イエスの言葉を耳にしたかったと願う。

(2015-11-27 SNS日記より)

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