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知るということ [人生]

カエルの目は、人間の眼とはことなっていて、
とてもシンプルな機能から成り立っているらしい。
カエルの目は、静止している物は見えないのだそうだ。

視野の中で動くものがあるとき、
はじめてその変化した部分を知覚できる。
動くものがあり変化する部分が視覚に捉えられる。

しかしカエルのことを笑えない。
人間のなかにも、変化しないと知覚できないものがある。
人間も、同様に鈍感なのだ。

持っていたものを奪われたときに、人は痛みを感じ、
それまで持っていた大切なものの存在にはじめて気づく。

愛情も健康も、人生で重要だとされる事柄は、
ほとんど普段は自覚できない。
奪われるまでは、その存在は意識に上っていない。
当たり前だと思っている。

皮肉なことだが、喪失することにより存在を知る。

いやそれまで持っていたというのは、
じつは正確な言い方ではない。
持つようになったことすら、
自覚しないままで居ることが、大半だろう。

自分の努力で得たと思っていることも、
失ってみて自分の力で保有したわけではなかった、
と気づかされることが多い。

与えられ、そして奪われる、
という言葉の重みを感じざるを得ない。

与えられているもの、与えられているものごとを、
人間はきちんと自覚できないで生きている、
と知っておくことは大切なことだ。

寝ているときも息を吸い、心臓は動き、血は巡っている。
どこかに障害が出たときに、はじめて慌てふためき
健康の恵みというものを知る。

そう考えると、いちども奪われたことのないものの
価値に人間は気づくことができない、ということになる。
動きのないものは知覚できないカエルの目と同じだ。

生きている間じゅう、与え続けられているもの、
それをしっかり自覚できないくらいに、
自分は無知なのだろうと思う。

(2014-05-26 SNS日記より)
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