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真実の言葉は短くて平易 (自分のためのメモ) [人生]

真実をついた言葉は、短くそして平易だと思う。
人間は、難しく考えたい性向があるので、
ことさら人生のことを小難しく複雑にしてしまう。

仔犬が産まれ、無邪気にあそび、生きていることを
ぞんぶんに味わい、やがて老衰して死を迎える。
人間もまったくそれと同じなのだけれど、とかく
知性だ、知識だ、勉強だ、成功だ、失敗だと、
人生のほんとうの姿を見えにくくしてしまう。

「人身受けがたし、すでに受く」という三帰依文は、
これまでいろいろと出合った言葉の中で、
真実をついた短い文章として、
つねづね思い浮かべる。
(このあと、仏法聞き難し、いますでに聞く。と続く)

お経にも同様な言葉がある。

「人の生を受くるは難く
死すべきものの 生命あるもありがたし
正法を耳にするは難く
諸仏の出現もありがたし」    法句経182

言葉は平易でシンプル。
しかしこの意味を体得するのは難しい。
言葉を頭で理解するならば、小学生でも出来るだろう。

しかしその意味を体得するには、
たぶんつらい思いや死ぬほどの思いを重ねないと
わかってこないだろうと思う。
そこには人生の深い体験が裏にあるからだ。

禅者がわかったと叫ぶとき、
なんだこんな単純なことだったのか!
とつぶやく話。
臨済がまだ修行中であったとき、
師の黄檗にさんざん小突かれて(可愛がられて)、
絶望した臨済は大愚のところへいく。
大愚との問答で、臨済はほんとうのところを体得して、
なんだそんなことだったのか!と叫んだ。

言葉を百万回聴いても理解できず、
ある契機で、自身の体験として体に染み入る。
わかった内容は、言葉にすれば単純すぎるくらいな
ものだろう。

「人身受けがたし、すでに受く」という言葉は、
ボクにとって、いくら汲み尽くそうとしても
汲みつくせない。
この言葉さえあればいいと思うくらい、
根源的な人生の言葉である。

(2016-04-21 SNS日記より)

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