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仏教はネクラ? [仏教]

ある方が、仏教は暗いからイヤだというようなことを
口にされていた。そういわれてみると、たしかに抹香臭い
ところや古ぼけた寺院のたたずまいなど、その印象は
うなづける。

また、やたら死とか病気とか言うんだよね、という意見もある。
ほんとうに嫌がられている理由は、この死のことをあからさまに
語る部分なのかもしれない。

著名な宗教学者の友松圓諦氏の著書に、こんな記述がある。
総体的な話で、キリスト教などの西欧の宗教は、
生命の生誕や強さを礼賛するところがある。
したがって、誕生日とか結婚記念日とかの「始まり」を
祝う習慣は、西欧流の考え方である。
もともと日本では盛んではなかったということだ。

また反面、死を忌み嫌っている気配がある。
そればかりか死者はいずれよみがえるということで、
火葬にしないというようなことも行われている。
死後の世界、霊魂不滅などのこと語るに熱心なのも、
ある意味で現世の継続を望んでいる傾向なのだろう。

友松圓諦氏が海外に滞在したとき、宿泊先の老婆に、
あなたの国の宗教はどのようなものかと問われた。
そこで仏教の話をし、死の問題に触れると、
とたんに顔色が変わり、耳をふさいで、
どうかその話はやめてほしい、
死の話をしないでほしいと懇願された。

生の明るい部分に光を当てて生きている感じがあるのだよね。
確かにドイツを旅したとき、片田舎の教会の中が、
とても優美で豪華、息を呑むほど美しく装飾されていた。
線香くさい古い寺院の中とは正反対だ。

死の世界を見ないように感じないように生きるその姿勢は、
光ばかりを求めて暗がりや陰を恐れるという
傾向につながる。その観点から眺めれば、
仏教はまさに暗く気持ち悪く、
まさに魔教のような趣に見えるのだろう。

生命が尽きてしまうことに疑念の余地はない。
だから霊魂不滅であり、来世は天国に行き、
そこで明るく楽しく永遠のいのちを得るのだという
信仰が自然と形成されていったという見方もありうる。

仏教そのものが暗いのではなく、暗いと感じさせるのは、
死を暗く忌むべきものとする死生観から導かれている。
仏教はこの問題を真正面から捉えているので、
暗い死生観と同一視されてしまうのではないかな。

友松圓諦氏の著書から引用されていただく。

『釈尊がお亡くなりになりますひと月ばかり前に
毘舎離という町に行かれましたが、さてこの町の
門を出ようとされたとき、体を右にめぐらせて、
毘舎離をもういっぺん見返られた。そうして、
 「美しいかな毘舎離の町よ、
  美しいかな毘舎離の土地よ」
と自然を謳歌されたということがお経に書いてありますが、
釈尊の境地においても、人間に起こる自然の気持、
生きるよろこび、そういった気持ちはおたがいによくわかることです。』

      『法句経講義』 p.87 より


(2016-04-23 SNS日記より)

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