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科学者の倫理について思う [科学・技術]

アインシュタインは、当時の米国大統領へ提出された原爆開発推進の嘆願書に署名したとされ、それはナチスドイツに使われるものと想定したらしい。

ところがナチスが開発完了前に降伏したため、アメリカは原爆を試しに使うチャンスを失った。そこで敗戦直前の日本に標的を変えたことは有名な話だ。

アインシュタインは、「実際に」爆弾投下が成されるとは思っていなかったふしがあり、ニュースで日本へ投下されたことを知ったとき、「オー、ヴェー」と呻いたそうだ。

しかしこの「オー、ヴェー」には、深い後悔の念とかは含まれていなくて、物を落としてなくしたときにつぶやく言葉の程度らしい。一説にある深い後悔の念を含んだ慟哭というような類ではないらしい。

「あれ、落としちゃったんだ」くらいの感じだろうと想像する。そしてそのあとアインシュタインは、普通の仕事のルーチンワークに戻ったという。
(ミヒャエルエンデ『アインシュタイン・ロマン』NHK出版による)

その後、日本における被害を知るに及んで、原爆開発を推進する行動をとったことに反省したのかどうかは伝わっていない。

現代物理学の基礎を作った大科学者のアインシュタインが、文明や平和やその他の活動についてすぐれた知性と行動力を発揮したかと問われれば、それは否定せざるを得ない。きわめて平凡な普通のレベルであったと言わざるを得ない。

科学分野で発揮されるすぐれた知性は、他の分野でも同様に発揮されるのかといえば、それはちがう。科学的な研究活動に必要な世界観や価値観は、きわめてシンプルで素朴なものだ。

それをもって哲学や宗教、美術の世界で言及される価値や意味というものを推し量れるわけではない。科学では検証でき、再現実験が可能なものしか対象としない。
美しさや、驚嘆、感動、命などにまつわることに言及できるとすれば、それは物質側面だけであり、それ以上ではない。

しかしながら、科学的世界観ですべてが説明することが可能なのだとする科学全知全能観が広がって、新たな「神話」になってしまっている気がしてならない。

宇宙の起源 [科学・技術]

昨夜、NHKの「宇宙に挑んだ天才たち 1 ホーキング博士の宇宙のレシピ」を観ました。

(注)いや正確には、最後の6分だけ観ました。
なぜ、最初から観ないのかと言われそうですが、妻が別のドラマ(草薙ほかの恋愛もの?)を観ていたためです。自分も時々観ますが・・・

それはともかく、この最後の部分には面白い知見が紹介されていました。

宇宙の起源のビックバンの瞬間は、時間は無かったという話です。物質が四方八方に広がってから時間が生まれたというのです。

なのでビックバンの前には時間はないし、それを考えてはいけないということになります。
そこには創造神だけが居たのではと考える方もおられるかもしれませんが、神すらも無いとホーキング博士は言います。

それはそうです。物質とかもろもろの宇宙が存在して初めて、時間も空間も、そして神も生まれると考えなければいけないということです。ビックバンの前には、神の居場所すらないのです。

いわば、考えてはいけない領域ということですね。
でも人間は、その前はどんな風だったのか?と考えてしまいます。

これに似た話があります。
昔からある哲学の問題で、こんな感じです。

月の裏側で大木が倒れたとします。
(月には大木は無いはずだと言う意見はもっともです。ボクもそう思いますが、これは問題の本質ではありません。)

だれも月の裏側に行ったことが無いときに、この大木が倒れたという事件ははたして起きたのだろうか、という問いです。

観測する人間が一人もいない場所で、何かが起きる。
これは果たして起きたという事実があったのだろうか。それを確かめることも出来ない。ならば、無かったことなのではないだろうか。
・・・こんな感じなのです。

つまり考えてはいけないし、誰も確かめていない月の裏側で、大木が倒れたとする、との言明がちょっとヘンです。だって誰も見ていないところで、そんなことが言えるものか、という反論が成り立ちます。

したがって確認できることだけが事実で、それ以外は脳が想像しているに過ぎないということになります。

自分は別に神学議論を吹っかけるつもりはありません。ただ神すらいない領域があるだろうなと、考えてはいけない領海外を想像します。

(2013-11-15 SNS日記より)

疫病神がやってきた [宗教]

昔読んだ本に、お寺の住職さんの話が出ていました。
なんでも祝い事の宴のようなものをやるところだったところへ、檀家の一人がやってきて、今日は縁起が悪い、日取りがよくないとか盛んに言うのだそうです。
住職さんはハイハイとこたえて、それでは別に日にでも、とか言って檀家には帰ってもらった。

帰ったのを確かめて、小僧にさっそくお膳をお出し、準備をしておくれと言ったそうです。檀家とのやり取りを聞いていた小僧さんは、今日は止めるといっていたのではないでしょうかと問うたところ、住職のお坊さんは、答えた。
たった今、わるい縁起は帰っていったからね。

この話は好きなのですが、とても深い内容を含んでいると思います。

縁起が悪いとか、悪いことが起きる予言とかありますが、そういう悪いことは、信じている本人の脳みその中にしかないのではないかと思うのです。世の中に、そんな悪いものが客観的に転がっていてたまるかと思うのです。悪いと思っている人の頭の中にしかない。

お店をやっているといろいろな方々がやってこれらます。
長年お客さんとして来店される年配女性。じつは長話をしては、近所の人の悪口を言い、通っている絵画教室の先生がいかにダメかと言うことを主張し、そこの生徒さんの作品をけなす。まあ、愚痴を聞いてほしい感じなのですが、相手をしてくれる人がどんどん減ってしまう。行く場所がなくなってくるのです。

自分の回りの人間が、みな悪人と言うことはありません。もしそう見えるのだとしたら、自分自身がそういう考えを投影して周りの人を見ているということです。つまり最初の住職さんの話と同じで、悪口を言いふらしている本人がいちばんヤバイ。

(2013-11-09 SNS日記より)

妻に多謝! [身辺雑記]

夏から秋にかけて、遺産分割の件でなんどか実家の横須賀に出向き、妹夫婦と協議しました。でも、おかげで分与のことで、一度も争うようなことがらは起きませんでした。

昨日、司法書士の方から連絡があり、先日提出した遺産分割協議書についての最終確認がきました。登記の変更が必要なためです。土地家屋は妹が相続、その評価額の半分は自分へという形でいいですねという内容です。

妹夫婦は、古い実家を取り壊しそこへ新築の家を立てる計画です。土地が道路からすこし高台に上る地形のため、駐車場が作れず、近くに賃貸駐車場を借りる予定だといいました。

せっかく家を建てるのに、駐車場もいっしょに作ったらいいのではとアドバイスしたら、高台の土地を掘り込んで工事するのでたくさんお金がかかるということでした。

そのあと、家内とその件を話し合っているうちに、どちらからとも無く、わたくしが受け取る遺産分与金の一部を、駐車場の造成に当ててしまうのはどうかという案が浮上しました。それがいいね、ということで200万ほど渡すことにしました。
もちろん妹夫妻は大喜びでした。お金が無いのは、どこも(自分も)同じです。

それより自分がほんとうに感謝しているのは、妻の態度です。そもそも遺産分与の内容に一言も口出しをせず、また駐車場代まで負担することに賛成してくれました。

もし妻が、あれこれと口出ししていたら、こんなに平穏に事態は進まなかったろうと思います。妹との係争が無く、また家庭内での意見対立に悩まされずにこれたのは、じつは妻の姿勢に大いに関係していました。

いつも鼻歌まじりでお皿を洗っているノー天気に見える家内ですが、実はすごいヤツなのかも。
まあ感謝です。

うつを取り上げた番組 [健康]

先の日曜日に、NHKの病の起源第3集「うつ病」をみました。雑誌を読みながら、適当に聴いていたのですが、やがて乗り出してしっかり見てしまいました。

ほぼ、うつ病が発症するプロセスが医学的に解明されているようで、医療の進歩には驚きます。

うつの程度も、数量化できるような内容も出てきました。小魚でさえ、うつ状態に陥らせることが出来る実験がなされていました。

病の起源と題されたこのシリーズ番組に、うつが取り上げあげられるのには、実は意味がありました。現代社会のあり方が、うつという状態を生み出している遠因となっているのだという警告です。

その正体は、ずばり格差社会という、差別を許容している状況にあるらしいということでした。社会的な存在である人間が差別の中に放置され、それが恒常化したときに、人間は生存が脅かされると受け取ります。

脳の中では偏頭核という部位の肥大をまねき、ストレスホルモンを多量に生み出します。このホルモンの作用によって、最終的には脳細胞の萎縮現象を引き起こします。

格差はなぜ生ずるのか、それは必要なのか、ストレスにならない差のあり方は無いのかなど、いろいろなことを思い巡らせました。

(2013-10-23 SNS日記より)

遺産分与の件で横須賀へ [身辺雑記]

先の連休を利用して、横須賀の実家へ出かけてきました。今は住む主も無く、空き家状態となっています。
となりに妹夫婦が住んでいるので、実家にあがり込んで、
遺産分割などの話し合いをしてきました。

実家の土地家屋は妹が相続し、その評価額の半分を
自分が現金で受け取るという結果です。
妹は古い実家を取り壊し、新築の家を建てたいという希望で、実家の家屋は年末に取り壊わされます。

実家の中の整理はなかなか進まず、前住人が住んでいたときの状態のままといった感じ。
取り壊しの方法は荒っぽいもので、家電と紙類をのぞき残留したものを家と一緒に重機でバキバキと破壊し、瓦礫にして、トラックで運搬するやり方になるのだそうです。壊されて忍びないものは、回収してきました。

横須賀に住まいを構えることになったのは、父親のギャンブル遊びの結末といってよく、それまで横浜に住んでいた一戸建ての家屋を売り払い、賭け事の負けの借金を返して、住むところが無くなるので、当時僻地に感じた横須賀へ引っ越したという経緯です。自分が中学3年のときでした。数えてみると半世紀近い昔のことです。

捨てるものと拾うものを分別する中で、それこそタンスの奥に潜んでいたような、古い思い出の品々が出てきました。父親が16歳の頃に描いた絵画やポスターがあれこれ出てきました。身内の自分が言うのはヘンですが、かなりうまいので驚きました。また、自分が6歳頃に描いた絵の数々が(大量に)、紙袋から出てきました。どうも母がすべて保管してくれていたようなのです。これらを見比べると、父の方が絵の才能があったのではないかと思われました。

と同時に、それだけの絵がかけたのに芸術家を志すことなく、平凡なサラリーマンに徹したのです。いや絵の道を志したい希望を、若き父は親に訴えたのかもしれませんが、当時の常識は、絵描きは虚業というものです。きっと反対されたに違いありません。いまは芸術家の地位が上がりましたが。

父母の眠る墓に出向き、墓石をタワシで洗い、水をかけ、花を手向けて手を合わせてきました。一時代が終わったなと感じる瞬間でした。

(2013-10-16 SNS日記より)

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