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ほぼ毎日ボクたちは (自分のためのメモ) [人生]

ほぼ毎日ボクたちは、不愉快な出来事などに
ふりまわされている。
そこから引き起こされる感情の処理に心を悩ませている。
もっとスッキリとした気分になりたいのに、
なぜあいつはこんなことをするのかとか、
お金が無くて困って気分が滅入るとか。

でもほんとうに、それらの困ったできごとなどが、
諸悪の根源なのか。
本当に困っているのは、
それらのできごとそのものなのか。

この問題は、よく考えなくてはいけないと思う。
というのは、それらのできごとが、
困っている本当の真因ではないからだ。
ボクたちが困ってしまうのは、
それにより引き起こされる感情なのだ。

不愉快な感情。
それをなぜ自分が受けなければならないのか。
こんな感情はあるべきではない。
なくすべきなのだ、この感情は。

その奥には、自分はいつも快適で、気分よく、
元気で居たいという要求があり、
それが満たされない怒りがある。

ボクたちが悩むのは、
この感情に付きまとわれるところにある。

趙州和尚の言葉に、「至道無難、唯嫌揀択」がある。
至道はむつかしいことはない。ただ選り好みを
嫌うだけ、と言う意味だ。

ぼんくらのボクたちは、日々この揀択に迷い、
心を悩ませてしまう。
こんな気分は嫌だとか、その原因を作ったのは
あれだとか、そんなことばかりして暮らしている。

悩むな、とはいえないが、
心を悩ませているのは選り好みによるもので、
嫌なものはあっち行けと言っていることなのだと
わかること。

「有所得心」という言葉もある。
何かになろう、何かを得ようという考えのことだ。
これを持ってはいけないと示唆している。
では進歩がないではないかとの反論が聞こえそうだ。
しかしこころの世界に進歩はない。
余計なことがらを捨て去り、
退歩するほど良しとされるのだ。

(2015-03-13 SNS日記より)

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いつの頃からか・・・ (自分のためのメモ) [死]

日々の暮らしの中で、イヤなこととか不愉快なことなどが
身の回りに起きてきます。
放っておいても、これらの歓迎されないことがらは次々とやってきて、
怒りがこみ上げたり、思わず罵声をつぶやいたりすることもあります。

しかし、いつの頃からか時間超越の技を覚えてから、
怒りの感情や不愉快なことがらへの対処の仕方が、
かなり変わりました。

なにも難しい技を使うわけではありません。
ほんのちょっと、想像力を働かせて、
時間を飛び越えるのです。
どこへ?どの時点へ?

それはズバリ、自分が死の床にふさっていて、
自分の人生を振り返っているその瞬間です。
自分の人生とはなんだったのか、これまで過ごしてきた人生の
イベントやら出会った人々などを思い浮かべている、
その時間にです。

怒りに駆られているとき、こう考えるのです。
死の床についている自分は、
はたして現在の怒りのことを覚えているだろうか?
イヤなヤツのことをまだ怒っているだろうか?

いやいや、そんなことは思い出しもしないはずです。
そんな小さな日々のことがらなど、
記憶の中から消え去っていることでしょう。
きっと妻や家族のこと、これまでの人生のイベントのことを
思い出しているに違いありません。

そして愛した人々に何を伝えられるかを考えていることでしょう。
ほんとうに大切な事柄しか、頭に思い浮かばないはずだと思うのです。
これは確信を持って言える気がします。

なぜって、まさに人生を終えるときに、
こまごまと、自分をいじめたやつとか
不愉快な事件などを思い浮かべるはずもないのです。
そんなイヤな気分のなかで人生を終えたいと思うでしょうか?

重大な飛行機トラブルや、
テロ事件に巻き込まれたその最中で、
自分がもう助からないと覚ったときに、
その人々は何をしたでしょうか?
手近な紙や、手帳に、人生で一番重要な人々に、
最期のメッセージを書いたのではないでしょうか。

こういう緊急事態のときに初めて、自分にとって
大切なものが何であり、大切な人が誰であるかが
明確に分かるのではないでしょうか?
死を前にしたときに人間ははじめて(ようやく)、
人生にたいして真剣な態度を取れるのではないでしょうか?

それではもう時間切れの状況なのではありますが、
そこに大きなヒントがあるのだと考えるのです。
まだ時間のある、いま。
この現在。
この瞬間に、死の間際を想像することで、
のんきなボクたちは人生に真剣になれるのです。

日々の怒りや、苦労などが、
果たして自分の人生の本質を為しているのか、
あるいはつまらないことがらは、もう
いい加減にしてやり過ごせばいいだけのことなのか・・・
それは、すぐ判断できると思います。
時間を飛び越え、いっきに結論から人生を観るのです。

(2015-03-11 SNS日記より)

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お借り申す・・・ (自分のためのメモ) [禅]

昔話にでてくる一休さんは、もともとは臨済宗の僧侶の
一休宗純禅師をモデルにしている。
狂雲集(男女の性愛を歌った歌集)などの著作が
知られているが、傑僧と言うべきなのだろう。

一休禅師の辞世の句は、
「お借り申す四大五蘊(しだいごうん)、
お返し申す今月今日…」
と伝えられている。

言葉の意味は、「地」「水」「火」「風」の四大、
および精神活動の五蘊をお借りしていたが、
今日、お返しする、ということ。

つまり肉体を構成していた元素や、
精神を構成していて認識作用などのもろもろを
今日まで借りていた。
それを返す時が来た、と述べている。

禅の僧侶とは、常人がうかがい知れぬ
特殊な精神構造を持って奇行を行うもの
というイメージ(疑い)がぬぐえなかった。

しかしこの辞世の句を知り、
禅者が、なにを思いどう生きていたのか、
その本心をうかがい知ることができたと思った。
これは浄土真宗の核心のところと同じだったのだ・・・

たどる道筋は異なるのかもしれないが、
到達する境地は同じ。つまりどちらも、
いのちの世界に帰依している。
そのことを学ぶ道のりが異なっているだけだった・・・

(2015-02-28 SNS日記より)

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