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自分だまし (自分のためのメモ) [文学]

人間は(とくに日本人は)、
タテマエで考える習慣がついていて、
それを自分の本心だと思っていることが多い。

アナタのやりたいことは何ですか?
と人から聞かれ、
エエカッコしたい気持ちもあって、
家族のために生きますとか、子供のためとか
社会の何とか、かんとかのためと言ってしまう。

でも長年人生を生きていると、
人生の酸いも甘いも噛み分けた(?)ためだろうか、
こういうタテマエ回答を耳にすると、
嘘っぱちとは言わないまでも、ウソウソと感じて、
歯の浮く思いがしてしまう。

こうなってしまう背景として、
本当にやりたいことを普段、
まじめに考えてこなかったために
ついタテマエ回答が思い浮かぶのだろう。

また普段考えてこなかったので、
自分のタテマエ回答を、本心からの願いだと
勘違いしてそれを人生の目標にしてしまったりする。

こういうのは自己だましだ。
昨今、よく蔓延している。

ボクは思う。
イチローのような人に
アナタのやりたいことは何ですかと聞いたら、
もうコンマ何秒の間をおかずに、
メジャーリーグへ行き、打率何割を
達成したい、とか即答するだろうな。

常日頃からしっかりと自分の目標や使命を
心に刻んでいる人は、質問に戸惑うことなど
ありえない。

えーと、目標は・・・と、
タテマエ回答が出てしまうというのは、
普段何も考えていない証拠だ。
気をつけねばなるまい・・・

(2015-04-11 SNS日記より)

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柄でもないのだが・・・ [人生]

人生の悩みのようなものを、よく人から相談される。
本心は、そんな柄じゃないと思っている。

でも悩みや話を聞くうち、相談者の話に、
ある傾向を感じることがある。
それはバッサリといってしまうと、頭デッカチだ。
頭のいい人ほど頭デッカチだ(ま、当然かな)。

イライラするほどそのことがらを感じることがある。
とくに、こりゃ病気じゃないかと思うくらい、
完璧な納得、完全な理解を追いもとめる人たち。

自分の頭が合理的に納得し満足することを、
第一優先に求めているのかなと疑う。
これは悩みなんかじゃなくって、
頭が暴走しているだけだ。

アナタは、こころが苦しいのではない、
頭が不合理に耐えられないと叫んでいるのだ、
とアドバイスしてあげたいが、
それすらも頭で理解しようとするのではないかしらん。

頭の働きは、完全でないという地点にボクは立脚している。
いや逆に言おう。
現実に起きるこの世のさまざまなことがらは、
頭の理解を完全に超えている。
だからどこかで頭はギブアップしなきゃいけない。

だけれど頭至上主義の人たちは、ギブアップを認めない。
どこまでも理解しようとし、どこまでも努力しようとする。
それは無理なんだ、という一段上の理解(啓示)に
到達しなくちゃいけないのだと思う。

宗教的な言い方を許してもらえるなら、
それは神の仕事なんだ!
キミが悩む問題じゃない!
という感じ。
神になろうとして悩む姿は、
(言葉は悪いが)傲慢な感じで
謙虚さに欠けている。

(2015-04-07 SNS日記より)

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真面目に生きていない (自分のためのメモ) [人生]

生きるとは何なのだろう。
ボクたちは、真面目に生きているのだろうか。
このごろそんなことを考える。

生きるとは飯を食うとか、寝るとかの
日常の動作や行為を含むけれど、
頭の中は、何をしているのだろう。

これまで生きるという言葉で言わんとしたことは、
人にほめられて嬉しかったとか、
仕事が忙しかくてへとへとになったとか、
ライバルに負けて悔しいとか、
酒を飲んで気晴らししたという、
そんな出来事の集合体だけれど、
それはほんとうに「生きた」ということなのだろうか。

このごろ思うのは、そういうことがらは
人生のイベントではあるけれど、
生きたということには相応しくない。

イベントの中で考えている事柄は、
なんでこんなことをしなければならないのかとか、
あいつが生意気だとか、
また金を使って今月はたいへんだとか、
ああもう寝なくちゃとか、
そんなことばかり。

人と比較して、損したの得したのとやっているのだけれど、
それは生きているといえるのか。
あと3日の命です、と宣告されたら、
残りの3日間をそんなことに費やすだろうか。
もっと大切なことを忘れてやしないかと思う。

このいのちはどこから与えられて
そこへ去っていくのか。
この世界に生まれて
生かされて自分は何をしているのか。

いま居る場所に
いま生きているこの空間のなかで
自分は、どっしりと自分の生きている事実を
見つめているだろうか。
生きている実感を味わいつくしているだろうか。
このいのちの現実を直視して、
そのことへの感謝の念などを抱いているだろうか。

ボクたちはすぐ彷徨い出てしまい、
日々のこまごましたことがらに頭が占領されてしまい、
毎日バタバタとやっている。
あるいはボヤいている。
何かに怒っている。
情けないことに、
いのちを浪費しているだけの日々ではないだろうか。
真面目に生きること、
いまに腰をすえて、自分と世界のいまを
味わうときではないだろうか。

(2015-04-03 SNS日記より)

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